本記事は『宣伝会議』9月15日号の巻頭特集「日本独自のマス・マーケット ヤンキー、ギャル、オタクの研究」から抜粋したものです。
時代とともに移り変わってきた「アウトロー系」雑誌
「俺はもう既に本物のヒョウなのかもしれない」「この色香…埼玉で一番ジローラモに近い男」「千の言葉より残酷な俺という説得力」「AKBとかよく知らないけど、たぶん全員抱いたぜ」……。大洋図書グループの雑誌『MEN’S KNUCLE(メンズナックル)』といえば近年、この強烈かつ挑発的なキャッチフレーズの数々がネット上を賑わせている。まとめサイトなどを通じて、一度は目にしたことがあるネットユーザーも多いのではないだろうか。
このコピーは同誌のストリートスナップ企画で登場するもので、編集部が方向性を示しつつ、読者のファッションやスタイルに適したコピーをライターが考えている(ちなみにスナップに参加した読者は、雑誌に載るまで自分にどんなコピーが付けられるのか分からない)。さらに8月には歴代の名コピーを集めたスマートフォンアプリ(有料)も発売された。
同誌の出版元である大洋図書グループは、1980年代から現在までヤンキーやギャルといった“アウトロー系”の読者に向けた雑誌を発行してきた。その走りともいえるのが1989年に創刊、98年に休刊したヤンキーに憧れる若者向けの雑誌『ティーンズロード』だ。当時“レディース”と呼ばれていた地方の暴走族の少女たちにスポットを当て、ピーク時には18万部を発行した。ところが90年代半ばにはヤンキー文化が下火となり、誌面にはヤンキーよりもルーズソックスを履いた女子高生が登場するようになる。
「コアな読者からは、“ティーンズロードはウチらを裏切った”と言われましたね。入れ替わるように95年に創刊したのが、ギャル向けの『egg』だった」と説明するのは、ティーンズロードの三代目編集長で、メンズナックルの創刊編集長でもある倉科典仁・編集局長だ。
その後、1999年には『men’s egg』も登場、最盛期には40万部を発行する。両誌を統括する東宮昌之・編集局長は「コアターゲットは一貫して、相模原・八王子・川越といった国道16号沿いに住む地元意識の強い若者たち。2000年代に部数が伸び悩んだ時期もあったが、“女が大好きな男のための雑誌”として、生き方やセックスなどに踏み込んだ特集でV字回復した」と説明する。
さらに前述の『メンズナックル』が2003年に創刊されると(当時の誌名は『G-Style』)、ホストの黒系モノトーンファッションを源流とした「お兄系」というジャンルを確立。続く09年には「悪羅悪羅(オラオラ)系」と呼ばれる現代版ヤンキーの雑誌『SOUL Japan』、その女性版『SOUL SISTER』も登場した。
かつての『ティーンズロード』との違いは、ファッションの提案を充実させた点にある。「ヤンキーは車やケータイには投資するけど、服装は昔のまま。そこで渋谷系ブランドの価格の高いジャージやスウェットを提案したら、コンスタントに売れるようになったんです。まだ手付かずのヤンキー市場があるのだと気づきました」と倉科氏。
「絆」は日本人のワビサビ!斬新なコピーにも意味がある
ヤンキーから派生したギャル系・お兄系・悪羅悪羅系などカテゴリーの細分化が進むが、いつの時代も読者の根底にあるのは、“アウトローな生き方はモテる”という信条、そして絆や仲間意識の強さである。昨年、メンズナックルで最も売れたのも、東日本大震災に端を発する“絆プロジェクト”という3号連続企画だった。同じブランドを好む仲間たちを一斉に集めたストリートスナップを全国で実施し、1号あたり1000人以上の読者が登場した号もある。
「ヤンキー的な絆へのこだわりは日本人ならではのワビサビというか、DNAに刻まれているものだと思うんです。誌面ではバーチャルの世界にはないグルーヴ感を押し出しつつも、読者には“もっと自家発光してピンで目立とうよ、開き直っちゃえよ”と言いたい。メンズナックルのコピーには、そういう思いも込められているんです。振り切れるとこまで振り切って、読者の意識を高めようと。ライターは毎号、悲鳴をあげていますけどね(笑)」(倉科氏)。