2002年から06年、ライブドア代表の堀江貴文氏の広報担当を務めた乙部綾子さんは、「美人広報」として自らもメディアに引っ張りだこになった。あれから6年、今もPRの仕事を続けている乙部さんに広報の仕事への思いを聞いた(広報会議11月号より)。
メディアは広報の大切なお客さま
私の仕事の原点は、広報の前に経験していた客室乗務員の仕事にあります。そこで徹底して、「お客さまは誰か」「その人たちは何に関心があり、何を求めているか」を考えるようになりました。
客室乗務員なら、お客さまが「〇〇ください」とおっしゃる前に、その空気を察知して動かなければならない。何もかも、先手先手で動く姿勢が求められます。広報の仕事も同じ。お客さまであるメディアには、ただ売り込むだけでなく、互いにメリットのある関係づくりを心がけなければなりません。
雑誌を作っている方々は、毎週、毎月新たな企画を考えています。とても大変なことですよね。だったら、その企画を丸ごと引き受けるぐらいの心構えで考え、提案します。そうではなく自社のことや商品のことばかりを話しても、「はい、分かりました」と電話を切られてしまいます。
どんなに素晴らしい商品であっても、メディアの方には何百も商品の売り込みがある。相手の置かれた立場を想像すれば、分かることだと思います。
私もライブドアに入社した頃は広報の経験がなかったので、相当に“うざい”広報だったと思いますよ。入社当時、ライブドアは受け身の広報しかしていなかった。でも、堀江(貴文社長)さんが望んでいたのは、もっと会社やトップの自分自身を露出すること。攻めの広報をするために私が採用されましたから、頑張るしかありません。
人脈もなかったので、まずは本で勉強して、その後はとにかく分からないので相手を知るしかないと思って。きっと、「また?また来たの?」と思われるくらいの頻度で編集部に押し掛けたり、電話をしていました。
企画を考えることは苦になりませんでした。家にいる時も、電車に乗っている時も、街を歩いている時も、とにかくメディアを意識していました。テレビを見て「こんな企画内容だったら番組もいけるな」、中吊りを見て「この雑誌ならこの切り口で売り込めるかも」と考え続けていました。ボーっとしている時間はありませんでしたね。
メディア統制で新体勢と衝突
企画提案の時だけでなく、クライシスの状況においても、メディアに対して節度とプライドを持った対応が必要だと考えています。
たとえば、ライブドアがプロ野球の近鉄バファローズ(当時)の買収計画を発表した04年夏頃からは、事実を曲げた報道をされることが度々起こるようになっていました。「メディアはお客さま」とはいえ、何でも許されるものではありません。そういう時には記者のところに直接行って抗議していました。
さまざまな問題が起こる度に、記者の方とはお互いが納得するまで話し合ってきました。大喧嘩もしょっちゅうで、月の携帯電話の料金は10万円を超えていましたから(笑)。その代わり、何らかの事情で私どもが取材に応じられない場合には、その理由を明確に話してきました。
実はそうやって大喧嘩した記者とはとことん話し合うので、その後もよいお付き合いが続いていたりするものです。そういう経験をしたので、「オープンであること」は広報の基本だと考えています。
残念だったのは、06年の強制捜査後の広報の新体制はメディア統制をするようになったことです。自社に都合のよい記事を書いてくれるメディア以外を遠ざけてしまったのです。私は、会社が大変な状況の時こそ、すべてのメディアにきちんとご説明するべきなのではと考えていました。それで、新しい体勢とも話し合いましたが、やはり方針が違うなと感じました。そのことは、私がライブドアを辞めるきっかけの一つになっています。
私は、広報としては会社を好きになり過ぎてもよくないと思っています。半分は会社、半分は客観的な外部の目を意識していないと独りよがりの広報になってしまいます。常に冷静な視点で、たとえ社長の言うことでも「これが絶対」と思ってはいけませんし、広報として、一人の社会人としてプライドを持って広報という仕事をやっていただきたい。その方が、メディアの信頼も得られると思います。
客室乗務員をしている時から、上司にばかり気を遣うのは嫌でしたね。礼儀はもちろん必要ですが、「先輩たちがこうしたいから、お客さまごめんなさい」となるのはおかしいと思っていましたから。
それと同様に、メディアの方と向き合うのであれば、公平な目を持って物事を見て、時には外の声を組織の中にフィードバックして自分の意見を言う姿勢も大切です。(談)
[プロフィール]
航空会社で客室乗務員として勤務した後、専業主婦を経て2002年ライブドア(当時オン・ザ・エッヂ)に広報担当として入社。プロ野球球団の買収や当時代表だった堀江貴文の選挙戦出馬などにおいて3人いた広報の中でも中心的な役割を務める。
06年、ライブドアの証券取引法違反容疑の強制捜査後に退職。PR会社パールダッシュに転じ、洋菓子やハーブ、カフェのプロデュースや商品PRを手掛けている。
プライベートでは、11歳、1歳半、0歳の3児の母。