コンセプトは“リボンの結び目”=企画の要
こんにちは、宮澤です。この連載コラムもいよいよ後半に差し掛かりました。今回は、前回の「インプット」編に続いて、企画の肝ともいえる「コンセプト」について解説していきます。
おさらいになりますが、本コラムでは学生向けブランドデザインコンテスト「BranCo!」の活動を通して、私たち博報堂ブランドデザインが普段の業務で大事にしている「リボン思考」を紹介しています。リボン思考とは、「インプット」「コンセプト」「アウトプット」から成る、企画の基本思想。コンテストにもセミナーを組み込んで、参加学生がこのステップで企画を考えられるようにしました。
さて、今回取り上げるコンセプトは、インプット(リサーチ)、コンセプト、アウトプット(デザイン)をリボンにたとえたとき、その結び目にあたります。事前に集めた情報から企画のヒントを導き出して、ぎゅっと凝縮するコンセプトワークという作業は、広告や商品の企画に限らず、さまざまな場面で重要となります。たとえばスピーチ一つとっても、コンセプトがしっかりしているほうが、人の心をつかむ力が強いものです。
「コンセプト」を直訳すると、「概念、観念」。大辞泉にはこれに続く定義として、「創造された作品や商品の全体に貫かれた、骨格となる発想や観点」とあります。私たちが日頃から携わっているどの企画にも、まさしくこの“骨格”が必要です。
よいコンセプトの条件“3K”
とはいえ、どうしたらよいコンセプトを導き出せるのかと聞かれて、即答できるような正解はありません。そもそも「概念、観念」ですので、言語化しづらく、伝えにくいのです。
あえて挙げるとすると、私はよいコンセプトの条件として“3K”を挙げています。
それは、「共有力」「期待力」「起点力」。成功する企画のコンセプトは、たいていこの3つを兼ね備えているように思います。なので、企画立案時のチェック項目としても使っています。
順に、解説してみましょう。まず「共有力」とは、そのコンセプトを他人が聞いたときにそこに込められた意味や言いたいことがわかりやすく、明確であることです。初めて聞いてスッと理解できるコンセプトは、言い換えれば向かうべき方向や最終的なゴールをイメージしやすく、関係者間で共有できる力を持っています。
共有力に関してよく陥る失敗は、コンセプトをキャッチコピーと混同しているケースです。何か気の利いた表現をしなければいけないと思いすぎて、コンセプトが表現に引きずられすぎてしまうことがよくあります。キャッチーな言葉は、聞くとなんとなくわかった気になるのですが、いったん引いて「それってどういう意味?」と考えてみると、意外と内容が薄かったり、それぞれが思い描くイメージがずれていたりするものです。うまいこと言えたと思ったときほど、本当に共有できているか、よく話し合うほうがいいですね。
2つ目は「期待力」。これは、そのコンセプトが実現されることを関係者や生活者が望んでいる、期待させる力です。コンセプト自体にちょっとした驚きがあったり、楽しくワクワクするような気持ちを抱かせたりするとき、そのコンセプトは期待力を備えているといえるでしょう。そもそも、コンセプトを聞いて何の期待もわかなければ、企画としては失敗です。ですから、コンセプトを聞いてワクワクするかどうかというのは、とても感覚的な話で測定しにくいのですが、もっとも大事なことだと思っています。
ただしここでポイントになるのは、期待を追いすぎて、突拍子もないコンセプトになってしまっては成り立たないということです。絵に描いた餅ではないですが、現実味がなければ当然ながらその後に続くアウトプットが立ち行きません。手が届かない夢物語ではなく、難しいけどもしかすると実現可能かもしれない、と思えるような絶妙な期待感を誘うコンセプトであるかどうかが重要です。
そして3つ目の「起点力」とは、その後の活動の起点になりうる力です。コンセプトを聞いて、すぐに商品やサービス、コミュニケーションなどさまざまな領域のアイデアがどんどん湧いてくるかどうか、という力です。コンセプトは、アイデアを生むための土台や基本設計図と言い換えることもできます。そのためよいコンセプトには、イマジネーションを膨らませるスタート地点にならなくてはいけません。ただしよいコンセプトの“よい”はその後に何を作るかにも関わってきます。当然広告をつくるときの“よい”コンセプトと、事業計画をつくるときの“よい”コンセプト、空間をつくるときの“よい”コンセプトは、よいの意味が変わってきます。
この「起点力」があるかどうかの見極めは、後に続くアウトプットの知識を求められるため、ある程度の経験がないと難しいものです。起点力が足りないと、最終的に世の中に出て行くアウトプットが中途半端なものになりがちです。いいなと思ったコンセプトをベースにアイデアを考えたら意外とつまらなかった、ということがありますが、そんなときはこの起点力が不足しているのです。
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