みなさんこんにちは。PARTYの清水幹太と申します。
このほど、光栄にもコラムの執筆の依頼をいただいたのですが、それは簡単に言うと「海外でクリエイティブワークをやっていく上で体験したものやことをリポートして欲しい」ということでした。
そう。私はいま、ニューヨークに居を構えて、ニューヨークを拠点にして仕事しています。この前の9月からですから、まだ3カ月ほど。正直、右も左もわからないところから始めて、まだ右も左もわからないくらいのタイミングでこの文章を書き始めています。
その前に。いきなり「PARTYの清水幹太です」などと名乗ってしまいましたが、ご存知のない方も多いかと思いますので、まずは私がどういう人で、どういう立場で、何をやっている人かをご説明した方が良いかなと思います。
たぶん、ニューヨークでの日々を書いていく上で、ちょこちょこ自分の特異性に根ざした視点が出てくると思われるからです。話すと長いのですが、なるべく短めにまとめてみます。
いま現在37歳。都内の進学校から東大法学部に入ったまでは良かったのですが、大学を中退。
その後なぜかいろいろあってエディトリアルデザイナー兼DTPオペレーターになり、いろいろな雑誌のレイアウトや文字組などをフリーで細々とやっていました。
所帯を持って、「そろそろちゃんと身を立てないといかんぞ」という29歳のタイミングで、いろいろあって憧れていたデジタルの制作会社に就職。それまでの経歴とはあまり関係のないデジタルクリエイティブの世界に入りました。
そうこうしているうちに何故かプログラミングを本格的にやったり、その一方で広告の企画をしたり、ディレクションをしたりということをするようになり、いろいろつくっているうちに、いつの間に、広告業界のすごいクリエイティブディレクターが集まってつくった「PARTY」というチームに、創業者の一人として参加するという、全く想像していなかった展開になってしまいました(私は、PARTYの創業者の中では唯一プロダクション出身です)。
肩書きは「チーフ・テクノロジー・オフィサー」。「ストーリーテリングとテクノロジーを合体して新しいものをつくる」ことを標榜しているPARTYの「テクノロジー」の部分の責任者ということになっていますが、何でもかんでもやっているのが私です。
クリエイティブディレクターとしてプロジェクト全体を仕切ることもあれば、テクニカルディレクターとして技術面の検証や管理を引き受けることもあれば、プロデューサー的に人集めに奔走することもあるし、プログラマーとして実際に開発を行うことだってあります。ときにはデザインをすることだってあります。
上記のような経歴なので、10年前の自分は、10年後にこんな生活を送っているなんて1ミリも想像していませんでした。思い返すに、滅茶苦茶な人生だなあと思います。
そして、冷静にその10年を見返してみると、「要するに自分は飽きっぽいんだなあ」ということが見えてきます。そんな私が、10年前の自分を驚かせついでに最近取った行動が、「ニューヨークで会社を立ち上げる」というものです。