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いつの間にか足を踏み込んでいた、映像制作の世界
前回の最後に、「無茶な仕事が舞い込んできて楽しいとか言ってられなくなってしまいました」というようなことを書きました。その無茶な仕事というのは、とあるミュージックビデオのお仕事です。私はもともと、映像に全く興味がない状態から自分のキャリアをスタートさせています。
第1回でちらっと触れたように、私はもともと「flashでかっこいいウェブサイトをつくりたい」みたいな動機で制作会社に入ったら、よくわからないうちに広告のクリエイティブディレクションをやるようになっていた、という人間です。
将来自分がCMをつくるなんていうことは全く考えていませんでしたし、ミュージックビデオなどというものは自分とは無関係なものだと思っていました。いま、一緒に会社をやっている川村は、「日々の音色」をはじめとして、クライアントワークのクリエイティブディレクターとしてだけではなく、MVの監督としてもいろいろなものを手がけています。
彼と初めて仕事をしたのは、SOUR「映し鏡」といういわゆる「インタラクティブミュージックビデオ」の制作と開発でした。それは、私が得意なプログラムで構築された、ウェブブラウザで楽しむミュージックビデオだったわけなのですが、その後そのままの流れで一緒にandropやユニコーンなどのミュージックビデオのアイデアを考え、制作することになり、なし崩し的に映像の世界に足を踏み入れることになりました。
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一流の映像作家である川村と一緒に映像をつくる、という幸運に恵まれたおかげで、半強制的に映像のつくり方を学ぶことになり、ミュージックビデオだけではなくいくつかのCMにも関わらせていただき、昨年に至っては大河ドラマ「八重の桜」の月替わりタイトルバックの監督をやらせていただいたり、いつの間にやら、全仕事のうちそれなりの割合が映像の仕事になっていきました。