1964年2月9日。エド・サリバン・ショーにビートルズが出演した。
事実関係だけ述べればこれだけのことだが、これ以後しばらく、アメリカの音楽は、イギリスの影響下に置かれることになる。
今年2月、ビートルズ50周年トリビュート・ライブが開かれた。アメリカで開催されたのだが、50周年の起点が、エド・サリバン・ショーにビートルズが出演した時になっているのがミソ。それが、いかに大きなできごとだったか、アメリカにとってのビートルズのありようがよくわかる。
ポール・マッカートニーとリンゴ・スターがゲストで招かれていて、オオトリでステージにあがるまでは観客として、自分たちが創った曲を豪華な後輩たちが歌うのを心底楽しんでいた。
スティービー・ワンダーが、「原曲よりもっとファンキーに歌うぜ」と言いながら“We can work it out”を歌ったり、ケイティ・ペリーが、いつもとはまるで違う張りつめた空気で、”Yesterday”を歌ったり、ギターだけで歌ってすごくよかったエド・シーランの”In my life“、アニー・レノックスとデイヴ・スチュワートの、元ユーリズミックスは、”Fool on the hill“を歌った。アニーの金属的な声が詞にとても合っていた。
1992年10月にマディソン・スクエア・ガーデンで、ボブ・ディラン30周年トリビュート・コンサートが開かれていて、最近DVDが再発売された。スティービー・ワンダーが、“Blowin’ in the wind”を、ジョニー・ウィンターは当然、”Highway 61 revisited”を、トレイシー・チャップマンが、“The Times they are a―Changin’ ”を、エリック・クラプトンが、“Don’t think twice ,it’s all right”を、さらに、ジョージ・ハリスン、まだ元気で、”Absolutely sweet Marie”を歌った。彼が最後ボブ・ディランをステージに呼び寄せ、ディランは、“It’s alright,Ma(I’m only bleeding)”を自身で歌い、まだまだ戦うぜ的姿勢を見せた。そのあと、全員で、“Kockin’ on Heaven’s door”を歌ってクライマックスを迎える。いいもの見せてもらって、聴かせてもらってありがとうな気持ちに素直になる。
そもそもカヴァーするというのは、リスペクトを表現する行為なわけで、ミュージシャン同士の縦横斜めに張り巡らされた音楽的影響度尊敬度相関図の貴重なエネルギーが、リスペクトの質量から形成されていることが、この種のトリビュート・コンサートを見るとよくわかる。
出演しているミュージシャンたちが、自分によい影響を与えてくれた人に、音楽的に自分を造形してくれた人に、誰がいちばん深くリスペクトを捧げられるかを競い合っているかのようだ。ヒトがヒトをリスペクトしている様子を見るのは気持ちがいい。お互い良質なエナジーを与えあっているということだから。こちらも、とても幸せな気分になる。
日本で、この構造、成立するかしら。
そもそも、ポールとリンゴにあたる、おおもとは誰かいるか。
ふつうに考えれば、サザン・桑田佳祐だと思われる。
ただ、かれらの名曲を、次から次とアーチストが歌い継いでいく光景がほとんどイメージできない。
そもそも、こういう歴史的観点からコンサートを企画すること自体が成立するのだろうか。
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