自分はセンスがないと思っている人へ。

【前回】「今や3人に1人はフリーランス。アメリカでフリーランスが多いワケ」はこちら

写真提供 wbur

センスがあるからこそ、自分のつくっているものがそんなに良くないとわかって落ち込むんだ。 — アイラ・グラス
Your taste is good enough that you can tell that what you’re making is kind of a disappointment to you. — Ira Glass

僕がカンヌを避けたワケ。

僕はデザインを仕事として生きています。訳あって10年以上もアメリカに住んでいるのですが、昔は日本へ帰国するたびに六本木の青山ブックセンターに行っては「〇〇デザイン年鑑」や「〇〇デザイン集」といった類の本や雑誌をワクワクしながら買い込んでいました。そしてそれを持ち帰っては、アパートの隅でページがすり減るまで読み込みました。

広告業界では春ごろから夏にかけて、優秀な仕事を評価する業界のお祭りがいくつかあります。その中でも一番大きなイベント「カンヌライオンズ」はちょうど今週末から開催されるようです。以前は広告批評のカンヌ特集をわざわざ日本から取り寄せて、隅から隅までチェックしていました。面白いポスター広告を眺めたり、かっこいいテレビコマーシャルのDVDを何度も見たり。

ただいつの日からか、デザイン年鑑やデザイン雑誌、広告フェスティバル、そういったものをほとんどチェックしなくなりました。

かっこつけて「そんなの興味がないから」って言いたいですが、理由はもうちょっと他のところにあるかもしれない。業界でも超優秀な仕事、それと自分の仕事とを比べた時のガッカリ感が嫌で、なんとなく避けていたんではないのかと感じるようになりました。

このガッカリ感って、きっとデザインや広告業界に限らず、どんな職業にも当てはまることではないしょうか。自分の描く理想はなんとなく見えているのに、どんなに頑張っても決して埋まらない、理想の姿と自分とのギャップ。

とりわけまだ社会人としての経験が浅い頃には、ボディーブローのように効いてきます。ふらふらになりながらも、なんとか立ち上がろうとするたびに自問自答を繰り返す。

「俺にはこの仕事は向いてないんじゃないか」と。

先ほども触れましたが、僕はアメリカに住んでいます。言わずもがな、ここアメリカは完全な車社会。ある統計によれば、アメリカでは平均して1日当たり101分間も運転に費やすそうです。起きている時間のおよそ10分の1はハンドルを握っている計算。(あらためて数字にすると本当にうんざりしますね。)そういう社会背景からか、アメリカではラジオ(最近ではポッドキャスト)というメディアがすごく発達し、浸透しています。日常生活でも「あのラジオ番組聞いた?」みたいな会話がかなり頻繁にあります。

そんなラジオで特に人気を博する番組「This American Life」、そのプロデューサー兼ナレーターのアイラ・グラス。久米宏さんっぽい早い語り口で、おじいちゃんになる前のウディ・アレンをもうちょっとスラっとさせたのを想像してもらえると、多分だいたい合っています。

このアイラ・グラスが語っていた一節が、ガッカリ感のボディーブローでふらふらの僕の心の支えになっているので、ちょっとご紹介させてください。

新米だった頃の僕に、誰かが教えてくれてればと切に願うこと。

クリエイティブの仕事に携わる僕らは皆、良いセンスを持っている。センスがあるからクリエイティブの世界へと入り込んだんだ。

 
ただそこには「ギャップ」が待っている。
 

仕事をはじめて数年もすると気がつくんだ。自分のつくっているものがそこまで良くはないんじゃないかと。悪くはないかもしれないが、素晴らしいとは言い難い。こうなりたいという理想はあるんだけど、そこまで達していない。ただ持っているセンス。良いものかどうかが判断できるそのするどい目、それ自体はいまだに健在している。センスがあるからこそ、自分のつくっているものがそんなに良くないとわかって落ち込むんだ。 わかるかい?
 

ほとんどの人はこのフェーズを乗り越えることができない。多くの人がこの時点で諦めて挫折しまう。ただ僕が切に伝えたいのは、僕が知る素晴らしいクリエイティブな仕事をするほとんどの人は皆、何年もの間このフェーズを経験しているんだ。
 

センスがあるからこそ、自分の作品が思い描いた理想には程遠いと分かってしまう。何かが足りない。それが何かはわからないけど、「特別な何か」が「足りてない」という事実は見えてしまう。
これは誰しもが通る道なんだ。もし君がまさにその道中で苦しんでいるのだとしたら、それはいたって普通なんだということを知ってほしい。
 

ここで一番重要なのは、ただひたすら多くの仕事をこなすこと。それこそが、このフェーズを越えるのに最も大事なことなんだ。自分の中で締め切りを設定する。毎週もしくは毎月でもいい。それに合わせて一つづつ仕事*をこなしていく。量をこなしていくことが、理想と現実のギャップを埋めていく唯一の手段なんだ。
 
そうして仕事をこなしていくことで、だんだんと思い描いていたものと同じクオリティーのものを作れるようになっていく。ただ時間はかかる。ものすごくかかる。ただそこは戦って戦って、戦い抜くしかないんだ。オーケー?

*原文では作家である作者の仕事、Story Tellingつまりお話をつくることを例にしていますが、一般にも共通するテーマでもあるので、あえて「仕事」と訳しました。

僕は今年で35歳です。社会の中ではまだまだ若造かもしれません。

ただ僕が昔に抱いていた35歳のイメージ、それは経験豊富で落ち着き払って、自分の仕事をバリバリやって、人生の悩みなんてこれっぽちもない。そんな姿を想像していました。

ただ実際にその年齢になってみると、どうしたことか昔と余り変わっていません。種類は変わっても、昔と同じように不安や悩みを抱えながら生きています。経験を積めば積んだで、昔は見えていなかったものが見えてきました。きっと45歳になっても、60歳になっても、そこで感じる根本的な想いはきっと同じではないでしょうか?

ただ少なくとも昔と比べて成長した(と思える)ところ。それは、そんな状況が当たり前なんだと受け入れられるようになったことです。

山の麓から見えていた空も広く青かったけど、5合目から見る空も等しく青広い。頂上はまだ見えないけれど、一歩一歩、踏みしめながら登って行こうと思います。

川島 高(アートディレクター)
川島 高(アートディレクター)

1981年生まれ。慶應義塾大学卒業後、2004年に渡米。文化庁が主催する新進芸術家海外研修員として、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) にてメディアアート修士課程修了。アーティストとして作家活動を行う傍ら、アートディレクターとしてAKQAなどの広告代理店にて活動。日本人として初めてGoogleのクリエイティブラボに参画。サンフランシスコ在住。

Facebook: https://www.facebook.com/takashi.kawashima
Twitter: https://twitter.com/kawashima_san

川島 高(アートディレクター)

1981年生まれ。慶應義塾大学卒業後、2004年に渡米。文化庁が主催する新進芸術家海外研修員として、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) にてメディアアート修士課程修了。アーティストとして作家活動を行う傍ら、アートディレクターとしてAKQAなどの広告代理店にて活動。日本人として初めてGoogleのクリエイティブラボに参画。サンフランシスコ在住。

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