—「お金があったら、本当はこれを体験したかった」ということはありますか?
貧乏だから体験できなかったというか、貧乏だったおかげで、人生がすべて後ろ倒しになっていきましたよね。良く言えば、遅咲きですが(笑)。飛行機に生まれて初めて乗ったのは28歳、出張でドイツに行ったときのこと。でも、このタイミングだったからこそ、飛行機というものをじっくり味わえました。それはもう感動的で、客室乗務員の人が全員美人に見えた(笑)。40を過ぎてからは、仇買い(かたきがい)を散々しましたね。ギブソンのヴィンテージギターを買ったり。タイムマシンがあったら、過去にも未来にも行きたくないけど、中学生だった自分に「これ見ろ!買ったぞ」って、見せに行きたいなとは思いますね。
僕は数年前まで、人生のすべては「復讐劇」だと思っていて、そのことを福山雅治さんに話したんです。「福山さんが長崎でこれだけのライブを成功させるのは、(地元)長崎への復讐劇ですよね」って言ったら、福山さんは「そうじゃないですよ、箭内さん。できないことを全部、長崎のせいにしてただけなんですよ。自分のせいなのに」ということを言われて、初めて目が覚めたんです。バネにできると言いつつ、全部自分以外のもののせいにしていたんですよ。今こうして改めて振り返れば、僕の人生にはドラマがあってよかったかもしれない。やるべきことが明確になりましたし。
—たしかに、何か反骨精神がある人は、それをクリエイティブに変換しやすいような気もします。とはいえ、特にこれといった“ドラマ”がない人のほうが多いと思います。そういう人が、自分の環境をクリエイティブに活かすにはどうしたらいいでしょうか。
「自分は“中の上”だ」「“中の上”じゃドラマにならない」っていうコンプレックスを持てばいいのではないでしょうか。「中の上コンプレックス」が、ちゃんと仕組みになったら、面白いと思いますよ。貧乏でも大金持ちでもない「自分は“普通”だ」っていう人たちの力の込め方が、発明されるべき時なんじゃないかなと思います。
あとは、わざと貧乏になるっていう手もありますよ。予算オーバーな車を買うとか。他の人から見たら間違っているかもしれないけど、それも正しいお金の使い方の一つかもしれない。自分の家計を危険な状態にするっていうのは、常に実践しています。毎号赤字を出しながら発行しているフリーペーパー「月刊 風とロック」にも、自らを追い込むために続けているという意味合いもあります。安定していると、クリエイティビティは発揮されないんじゃないかな。画期的な物事って、火事場のような危機的な状況でこそ思いつくものだから、安定をあえて破壊するんです。
僕は前から、死ぬ時にお金が一円でも残っていたら負けっていう考えなんです。前に、銀杏BOYZの峯田くんが「芸術活動で得たお金は芸術活動に使う」と言ってマンガをたくさん買っていて。僕もそうやって還元というか、回していくことが大切だと思います。
お金は、どんどん物に換えていくのが粋。小さいお金でもいいから動かして、物に換え、そして自分の経験に換えていったほうがいいと思います。
—ちなみに、お金を使うときのポイントは。
欲しいという欲望のままに。自分にとって得かどうかは考えないことでしょうか。同じ金額の二つのもので、「買うと東北の公園にベンチが出来る」というものがあれば、もちろんそっちから買いますけどね。僕は、金を使うことが、もったいないとは思わない。誰かのためになっている、すごく役に立っていることだと思っています。お金というバトンを人に渡しているという感覚。
どこかに、貧乏を肯定したいっていう気持ちもあるのかもしれない。お金がない状態は悪いことじゃなくて、その状態で面白く成立し続けたいんだと思います。こうして言葉にすると、ずいぶん哀しい人生みたいですけど(笑)。
『広告の明日』が見えるキーワード
「不安定、危機感、コンプレックス」
安定していると、クリエイティビティは発揮されない。これまでの人生の“ドラマ”(良い意味でも悪い意味でも)や、反骨精神を大切に。自分は“普通”だ…と思う人も、「自分は“中の上”だ」「“中の上”じゃドラマにならない」というコンプレックスを持つことが、クリエイティブに活きるかもしれない。
箭内道彦(やない・みちひこ)
クリエイティブディレクター 東京藝術大学美術学部デザイン科准教授
1964年 福島県郡山市生まれ。博報堂を経て、2003年「風とロック」設立。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」リクルート「ゼクシィ」をはじめ、既成の概念にとらわれない数々の広告キャンペーンを手がける。また、若者に絶大な人気を誇るフリーペーパー「月刊 風とロック」の発行、故郷・福島でのイベントプロデュース、テレビやラジオのパーソナリティ、そして2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場したロックバンド「猪苗代湖ズ」のギタリストなど、多岐に渡る活動によって、広告の可能性を常に拡げ続けている。2015年4月、福島県クリエイティブディレクターに就任。