市民に寄りそう姿勢を基礎に、IT技術に対応した新たなメディア・デザインを
瀬川 至朗(早稲田大学政治経済学術院教授)
「私たちがジャーナリズムを担ってきたのに、その土台が崩れていく」ソーシャルメディアの普及で、誰もが手軽に情報発信できる時代になり、新聞、テレビなどのマスメディアの人々は誇りと自信を失いつつある。
ソーシャルメディア時代においては技術的には市民全員がジャーナリストになれる。ならば、プロフェッショナルなジャーナリストは不要になるのだろうか――。
いや、むしろ、プロのジャーナリストの役割はますます重要になってくる。
震災報道の現場で活躍したJスクール修了生
震災報道の現場で活躍したJスクール修了生ある2人の若いジャーナリストを紹介してみたい。2人とも、東日本大震災の被災地で、使命感をもって精力的に取材を行ってきた。ともに早稲田大学ジャーナリズム大学院(政治学研究科ジャーナリズムコース、Jスクール)の修了生である。
読売新聞の中根圭一さん(現東北総局=入社4年目)は、気仙沼通信部で東日本大震災の激しい揺れに遭遇した。津波取材のため約1キロ離れた公民館に避難し、2階屋上から津波来襲を一眼レフカメラに収めた。
そのとき、静止画とともに、一眼レフに備わった動画撮影の機能を使い、押し寄せる津波を動画でも撮影した。この動画は読売新聞のサイトやYouTubeにアップされ、その迫真性から720万回以上視聴された。
映像の撮影は大学院で修得したスキルである。新聞記者は普通、紙面に載る写真(静止画)の撮影しか考えないものだが、大学院で学んだ動画撮影をいつか使いたいと考えていて、津波の瞬間にとっさに思いついたという。
中根さんは津波を取材したあと、公民館が孤立し、底冷えの建物のなかで約450人の市民とともに被災者として3日間を過ごした。東京消防庁のヘリで救助されたあと、その被災ルポは新聞紙面に載った。「アパートも車も被災して、知人も亡くし、心が折れそうになった。しかし、大学院で議論した『ジャーナリズムとは何か』という原点に立ち返り、全国にこの惨状を伝えることこそ記者の使命だと、自分自身を奮い立たせた」と中根さんは話す。
毎日放送(MBS)報道局の清水洵平さん(入社3年目)は、大阪府庁などを担当し、震災後は、福島県浪江町から大阪に避難した家族などを取材し、「大阪・宮城・福島~故郷を離れた家族たち~」というドキュメンタリーを制作した。浪江町の家族の一時帰宅に同行した映像は、TBS系の震災特別番組「原発攻防180日~故郷はなぜ奪われたか~」を通して全国放送された。
ドキュメンタリー制作では、大学院のビデオジャーナリズムの授業で、映像で伝えることの根本的な意味を教わったことがとても役に立ったという。また、修士論文の研究は問題を見つけて仮説を立てその実証を試みる作業が、実は取材と非常に似ていて、これも役に立っているという。
事件取材や遺族取材などは現場で経験してみないと分からないことがほとんどだが、清水さんは、Jスクールでそうした経験をしている現役記者の人の話を聞き、記者志望の仲間たちと議論ができた。同じ取材でも、自分なりの考えを持ちながら取材するのと、上司から言われたからする取材とではかなりの差がある。
「大学院のジャーナリズム学科というと頭でっかちと言われることが少なくないが、これからは頭で様々に考えながら腰軽く動くジャーナリストが求められる」と清水さんは話す。
ジャーナリズムの現場は日々、試行錯誤である。それだけに、大学で、実践を念頭にジャーナリズムの使命と倫理を学び、自分なりの考えを身につけておくことは重要だ。
瀬川 至朗(せがわ しろう)
早稲田大学政治経済学術院教授。1954年岡山市生まれ。東京大学教養学科(科学史・科学哲学)卒。毎日新聞社でワシントン特派員、科学環境部長、編集局次長、論説委員など。1998年、「劣化ウラン弾報道」の取材班メンバーとしてJCJ 奨励賞(現JCJ 賞)受賞。2008年1月から早稲田大学政治経済学術院教授、政治学研究科ジャーナリズムコース プログラム・マネージャー。著書に『心臓移植の現場』、『健康食品ノート』、『理系白書』(共著)、
『ジャーナリズムは科学技術とどう向き合うか』(共編著)など。
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