広告にかかわらず、クリエーティブな職種につく日本人が海外に挑戦しやすいと感じるのは、この仕事の本質が純粋にアイデア勝負なところにあるからです。だから理想論っぽくも聞こえますが、僕は新しかったり面白かったりするアイデアを生み出せさえすれば、世界のどの国でだって生きていけると思っています。そんな仕事につけている僕らは、ものすごくラッキーだと思わないといけない。
とはいえ、全く違った文化圏でも通用するアイデアを考えたり、言葉の壁を越えたりするのは、時にそこまで簡単なものではなかったりする。そこで僕が自分のこれまでを振り返ってみて、そんな環境の中で勝負をするときに大切にしてきたのはなんだろうと思い返してみると、ともかくシンプルでユニバーサルなアイデアを考えようという指針を持っていたことではないかと考えています。
それはもともと僕が抱いていた目標でもあるのですが、世界のどの国の人でも、子供でも大人でも、誰が触れても楽しいと思えるようなアイデアを作りたいと常日頃思っています。そもそも、ある特定の言語や、文化のコンテクストや、時代のトレンドやらに頼った表現よりも、全人類共通の琴線に触れるような表現を作りたい。その方が必然的に強くて大きな表現になると思うのです。
海外でよくいうところの「human truth」を捉えた表現ということなのかな。だから少し強気な発言をすると、僕は日本にいようとヨーロッパにいようとアメリカにいようと、その土地の文化に関係なく楽しんでもらえるアイデアを思いつく自信があります。多分マーケットを細かくセグメンテーションしていくことには限界があって、というか僕がそこまで器用じゃなくって、だったらいっそもっと大きな「人類」を相手にアイデアを考えた方がいいじゃないか、と思っている節があります。
もう少し現実的な話をすると、ヨーロッパのように複数の国や文化が入り交じったマーケットを相手にする場合は、こういった考え方はとても大切になってきます。ロンドンで流行っているものとウクライナで流行っているものなんて、天と地ほど離れていたりするので。この辺りはアディダスやアックス(AXE)やグーグルといったクライアントのグローバルキャンペーンの仕事でめちゃくちゃ実感しました。
あと、これは個人的な趣向が強いですが、言葉に頼らない、絵で見たらわかるようなシンプルな表現を僕が好んでいたのも、海外でやってきやすかった一因なのかなと思います。僕がアイデアを提案するときは、絵を一枚書いてみせれば誰でもわかるような、シンプルだけど強いモノにしようといつも心がけています。それはもちろん、広告の受け手にとってスピードの早い表現になるからそうしているのですが、同時にその手前での社内のコミュニケーションのスピードもとても早くなります。特に海外で仕事をする際に、慣れない言語で細かく言葉で説明しなくても伝わるアイデアというのはとっても有効だったりします。(次ページに続く)