さよならピーター
昨年から始めたこのコラムもあっという間に最終回を迎えました。親善大使やイタリア発のグローバルキャンペーンなど、日本の読者の方にとっては少し縁遠い話もあったかもしれません。それでも多くの方に読んでいただけて、FAOの在日事務所のWebサイトでも紹介されることになり光栄でした。
さて、職場では大きな変化がありました。新事務局長の就任にあたって組織体制が変わり、これまでメンター兼コピーライターとして指導をしてくれたピーターが別の部署に異動することになりました。「これで僕と君のメンター関係も終わりだね。いい10カ月だったよ」と、ランチを食べている最中に突然ピーターが切り出すではありませんか。
一緒にミッションに行ったときのエピソードは5回目と6回目のコラムに書きましたが、新聞記者出身でエディター兼ライターのピーターは、私がFAOに来てから厳しくコピーライティングの指導をしてくれた大先輩です。句読点の位置から、文章の区切り方、大文字と小文字の使い分け、タイポグラフィ用語から英文校正用の記号まで、あらゆることをたった1年で教えてくれました。佐々木康晴さんのコラムにもあるように、国際化の中、日本人でも英語で「あっと言わせる」コピーを書かなければならない方も多くなると思います。最終回は皆さんに彼から学んだことを伝授させてください。
バチカンの正式名称を知っていますか?
FAOに入った日に「まず、これを読んで」と手渡されたのがスタイルガイドです。スタイルガイドとは、組織の公的文書や対外文書の書き方について規定するルールブックで、日本のテレビ記者時代に研修で配布された「放送用語集」に近いイメージです。日本語と違って、英語には外来語の扱いやイギリス式、アメリカ式スペリングの違いなどややこしいバリエーションがあるので、組織として統一感ある文章を作成するためにこうしたスタイルガイドを用意しているようです。特に国際機関は国の名前ひとつを取っても間違いがあると大変なので、細かいルールを定めています。
「国名を表記するときはこのサイトを見て確認してね。例えば『The Holy See』(ホーリーシー)、これはどこの国だと思う?」
「『聖なる海』ですか? 知りません」
「その『Sea』じゃなくて『See』で主教が座る椅子の意味。『聖なる座』ってバチカンのことだよ。正式にはホーリーシーと言うんだ。何でもよく確認しないとね」なんてやり取りもありました。
このスタイルブックですが、日本人でビジネス文書やレポートを書かれるときにも大変参考になるのが、OECD(経済協力開発機構)が出しているものです。Webでダウンロードできるのですが、タイトルのつけ方、サマリーの書き方、用語の選び方まで、その辺の文法書を読むよりも効率的に勉強できて、お薦めです。
辞書は一生の友達
ピーター直伝のアドバイスの2つ目は辞書の活用です。私の場合、父が言語学者だったので辞書を身近に育ったのですが、「辞書なしで仕事ができる」のが格好いいと、辞書を軽んじていたきらいがありました。
「いいライターっていうのは、辞書を読み込んではじめてつくられるものなんだ。暇があったら辞書を読む。それから毎年新しい辞書を買って、言葉の流行り廃りに触れておく。ハイフンで繋がっていた言葉がひとつの言葉になったり、言葉っていうのは生き物だからね」と渡されたのが『Oxford Dictionary』でした。「ここに載っていない言葉は使ったら駄目だ」とも言われました。英語も日本語同様、流行り言葉もあれば、専門用語もたくさん出てきます。しかし、いい文章を書くのにはそうした流行り言葉ではなく、誤解を招かず、誰にでも分かる言葉を選ぶことが大切であることを知りました。
「語彙を増やすには、『The New York Times』や本場イギリスの新聞や雑誌を読むのがいいよ。同じ言葉しか浮かばないときはオンラインの同義語辞書を使うといい」。
それから、前置詞の使い方やイディオムなど文法で迷ったときに彼が指針にしているのが、英語用法辞典『The Cambridge Guide to English Usage』だそうです。40年近く物書きをやっているネイティブの彼がきちんと単語や文法を辞書や文法書で確認しながら文章を紡いでいる姿から、私は多くを学びました。
コミュニケーションの力を信じる
技術的なこともさることながら、私が一番いいな、と思ったのは、ピーターの仕事に対する姿勢でした。同じ職場で何年も「農業を通じた開発」というテーマで広報資料や各種の原稿を紡ぎながらも、記者独特の好奇心と正確な文章表現を目指す姿勢を失わないのです。
「僕たちは開発の専門家じゃないから、困っている途上国の人に技術を教えたり、物資を供給したりはできないよね。でも、そうした問題を世界に発信したり、援助の重要性を伝えるっていうのも同じぐらい大事じゃないかい?」と世界中のプロジェクトをレポーティングし続けた彼は言います。ソマリアの飢饉やハイチの地震など大規模な緊急事態が発生した際にはマスコミもそうした問題をハイライトしますが、時間が経つと忘れていきがち。だからこそ、広報官は陽の当たらない場所にも光をあて、一人でも多くの人に国際開発や援助の必要性を訴え続けなければいけないのだ、と私は彼から学びました。異動後も、オフィスのスペースの関係からこれまで通り数席離れたデスクで仕事を続けるというピーター。「メンター関係解消」なんて宣言していたけれど、これまで通り何か質問があればしつこく聞きに行こうと思っています。
このコラムを読んでくださった皆さん、どうもありがとうございました。日本のクリエイター、コピーライターの皆さん、そして大学生や社会人で開発協力に興味を持っている方々の一人でも多くの方に、国連での広報という仕事に興味を持っていただければうれしく思います。
FAOではインターンやボランティアも随時募集しています。時間がある大学生の方は、ネイティブじゃないからと諦めずに、ぜひチャレンジしてみてください。
http://www.fao.org/employment/empl-internship/en/
http://www.fao.org/employment/empl-faovolunteer/en/
※連載「ローマで働く 駆け出し国連職員の日常」は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。
山下 亜仁香「ローマで働く 駆け出し国連職員の日常」バックナンバー
- 第11回 キャスティングの妙が光る!親善大使の仕事(2/2)
- 第10回 60歳バースデー企画に奔走!(1/26)
- 第9回 スポーツは世界を救う!(1/19)
- 第8回 新しいビッグボスがやってきた(1/12)
- 第7回 イタリアのクリエイティブ業界は、まだまだ未成熟?(1/5)
- 第6回 ミッションレポート後編: 途上国での撮影に奔走した2週間(12/22)
- 第5回 ミッションレポート前編:初めての途上国ルポに出発! (12/15)
- 第4回 「怒り」のキャンペーン、次なるステップへ(12/8)