ケトルを設立する何年か前に、僕は「トキメキ隊」という社内バーチャル組織を立ち上げていました。
一見ふざけた名前ですが、ターゲットとブランドの出会いの瞬間を「トキメキの瞬間」と名付けて、その瞬間を作り出そうという「トキメキタッチポイントプロジェクト」のチームです。
たとえば、カップ麺の広告を打つとしたら、おなかがすいた瞬間に打つ方が効果があるだろうし、ダイエットの広告は自分の体形を目の当たりにした瞬間に打ったら効きそうですよね。
そういった、欲求や関心が高まって、人の気持ちがぐぐっと動く「トキメキの瞬間」を捉えるアンビエントアドとかクリエイティブメディアと呼ばれるアウトドア広告を開発すべく、ストプラ系とメディア系を中心に十数人の有志が集まったのです。
当時の僕たちは、とにかくがむしゃらでアグレッシブでした。
各営業局の局会に乗り込んで行って「仕事をください」と営業したり、知り合いのツテを使って得意先に「自主プレさせてください」と申し込んだり。
そして、アイデアをブレストしたら、メディア側と交渉して裏取りして、ラフのデザインを起こして、見積もりとともにプレゼンするということを繰り返すのです。
メディア側といっても、スキー場とか引越し屋さんとか遊園地とかビルの管理会社とか、そういう広告媒体でないところともたくさん交渉しました。
世界中のタッチポイントのケースを事例分析して独自のフレームを作ったり、それでプランニングツールを開発したりしました。合宿してメディアの勉強会や媒体交渉術を研究したりもしました。学生さんのバイトに、街中のメディアになりそうな場所を徹底的に写真に撮ってもらってその画像をデータベース化したりもしました。
僕が2004年にはじめてカンヌ国際広告祭に行ったのも、このプロジェクトがきっかけでした。ケトルのプランナー橋田和明と僕はもうかれこれ長いつきあいですが、トキメキ隊からです。
その頃ちょうど「メディアニュートラル」という言葉が流通し始めた頃だったのと、当時はたいていのCDは交渉などの手間がかかるメディア開発をめんどくさがったので、僕たちは幸運にもたくさんプレゼンの機会をゲットしました。
最初の一年間だけでなんと22回のプレゼン、提案した案数は珠玉の145案。
もちろん全部裏取り済みの新規開発媒体ばかり。
我ながらよくやったものだなあ、と思います。
ところが、人生そんなにうまくいかないものです。
プレゼンでは、僕らのアイデアはたいてい大好評で、「やりましょう!」という話になることが多かったのですが、最後までアイデア通りに着地して実施したのは、悲しいことにわずか数件しかなかったのです。
僕らは、ちゃんとメディア側とフィジビリティ(実現性)を詰めたものしかプレゼンしませんでした。しかし実はそこから実施するまでの間に様々な壁が出現して、実現を阻むのです。
実施段階での検証で立ちはだかる「技術の壁」、
本当に世の中で話題になるのかという「不確実性の壁」、
事前に投資対効果が証明できないことによる「最終決済の壁」、
実施は実績あるチームに奪われる「信用の壁」、
そしてNGが出てはじめてわかる「法律や考査の壁」などなど。
今までない広告媒体を開発するのですから打率は低いのは仕方ないとはいえ、実施したら絶対話題になる自信があった企画が消えていくという歯がゆい体験をたくさんしました。
あまりにくやしいので、ボツになった案をみんなで演説し合ってグランプリから金銀銅までをカンヌ広告祭と同じシステムで審査する「トキメキライオン」という悲しい内輪企画を合宿で真剣にやったりもしました。
実施直前に考査でNGになった企画が見事グランプリに、現場で予算化された後社長決済でNGになった企画がゴールドを受賞しました(笑)。
きっとみんな成仏してくれたと思います。
でも僕らは、なぜこんなに打率が悪かったのか。
今思い起こすと、その最大の原因がはっきりわかります。
ホームランしか狙わなかったからです。
当時のギラギラした僕たちは、誰も見たことのない、斬新で鮮やかな解決策、話題にもなって、ホームラン級の効果が見込める企画しか提案しませんでした。
それ以外の企画、例えば前例があったり、鮮やかでなかったり、ある一定の効果しか見込めない、いわゆる送りバントや犠牲フライのようなアイデアは、「そんなのトキメかない」という理由で提案から排除していました。
でもそれは、ほぼ確実に実現できて、ほぼ確実に一定の成果があがる「確実性の高い企画」を拒絶していたということを意味します。
良い言い方をすれば、「クリエイティビティ」、悪い言い方をすれば、「クリエーターのエゴ」みたいなものにこだわっていたわけです。
でも、経営とは、「確実性」と「効果」の掛け合わせで課題を解決しなければいけないものです。
投資する側から見れば、トキメくかトキメかないかなんてどうでもいいこと。
状況によって、効果の高いホームランや、確実性の高い送りバントを使い分けていかねばならないのです。
打席に立ったらどんな球もフルスイングしかしないバッター。
こんなバッターの打率がいいわけはありません。
そんなスタンスでは、真のコミュニケーションのプロとは呼べないのです。
さて、前回このコラムで、ケトルの「手口ニュートラル」に込められたスピリットは、「どんな難題にも必ず解決策がある」と信じて、志を下げずに、失敗やプライドが傷つくことへの不安に打ち勝つことだと書きました。
つまり、
「その企画に、ケトル的チャレンジがあるか?」
といつも自問するということです。
さっきの話でいえば、いつもホームランをあきらめないということでもあります。
しかし、この「ケトル的チャレンジ」の真逆のスピリットがあります。
「オキニケーション」というケトルで使われている用語です。
ケトルの設立趣意書には、クリエイティブディレクターとプロデューサーのふたつの円のベン図が書いてあります。課題解決のために全分野に責任を持つ「インテグレ―トCD」と、そのCDの考えたシナリオをあらゆる手段を使って叶える「マルチプロデューサー」のコンビが基本ユニットなのです。
さて、設立当初からいるそのマルチなんとかが、森川俊。
ある打ち合わせでのこと。
みんなが志の高いムリメな企画を出しているときに、彼は実現性を優先した手堅いアイデアばかり出していました。
「森川さ、お前さっきからベタな企画ばっかじゃね?」
と言った時、彼がポロっとこう言ったのです。
「プロデューサーたるもの、一度は必ず置きに行く。
オキニケーション。それがオレの美学」
おおおおおおお!
なにいまの? もしかして、かっくいいかも!
普段は深夜になるとシモネタしか言わない森川が突然吐いたこのプロデューサー美学に、みんなぐっときてしまったのです。
この日に、「オキニケーション」というケトルの標準語が誕生し一気に定着しました。
実は「置きに行くコミュニケーション」の意味なのか、「置きに行く」という動詞の名詞形なのかは、森川本人以外誰も知りませんが、実現性と実施したときの効果が確実に見込める「企画のリアリティ」を忘れないための言葉として、「ケトル的チャレンジ」の対義語としてケトラーによく使われています。
「A案はケトル的チャレンジだから、B案はオキニケーションを探ろう!」
「今回はオキニケーションで考えてきました~」
こんな風に、意外と便利なんです。
実はもうひとつ、「アテニケーション」とコトバがあります。
このふたつ、一見似てますが、意味は違います。
「オキニケーション」は、確実な実施と効果を上げるために着実に「置きに行く」プランニングを指すポジティブワードですが、
「アテニケーション」は、思考停止して得意先の言動や好みに「当てに行く」プランニング。言われたことに忠実に打ち返す、どちらかというとネガティブワードです。
時にはアテニケーションが必要な状況ももちろんありますが、こればかりやってる人は単なる御用聞きに過ぎず、コミュニケーションのプロとは言えないので、オキニケーションとの区別が必要です。
ホームランしか狙わないバッターは、チームを勝利に導くことはできません。
「オキニケーション」は、得意先の課題解決の本質からずれないための、「ケトル的チャレンジ」と並ぶ大切なケトルのプランニング哲学なのです。
「プロデューサーたるもの、一度は必ず置きに行く。
オキニケーション。それがオレの美学」
あ、ちなみに森川は子供が生まれてからは一切シモネタを言わなくなりました。
パパの威厳を傷つけないためにここに記しておきます。(つづく)