「牙を剥け!」オニツカタイガーとの出会い
ガイシに転職して3年。自ら開拓した製菓会社との仕事も終わってしまい、会社から与えられた仕事をこなす日々に戻りました。でも、新しい領域を自分で開拓する!という快感が忘れられない僕は、懲りずに次の自主プレ先を探し始めました。類は友を呼ぶもので、共にタッグを組んでいたアートディレクターの西村君(ニッシー)も同じ思いを抱いていました。僕らは、自分たちがターゲットであり、興味があるスポーツブランドを攻めたいと考えました。でも、メジャーなブランドは既に他の広告会社と付き合いがあるだろうし、外資系ブランドは僕ら「英語できない組」だけではきつい、日本のブランドであまり広告をやっていないブランドって…そんな時、ニッシーがすごいネタを吐露したのです。「この前、代官山のオニツカタイガーのショップで急にもよおしてさ。トイレだと思って店の奥のドアを開けたら事務所だったわけ。で、そこに『プレス』って書いてあったような気がするんだよな~」
え?!ホント??
オニツカタイガーは生粋の日本ブランド!しかもここ数年、広告を見た記憶がない!さらにプレス(広報室)がアシックス本社ではなく代官山のショップ内にある(かもしれない)!んでもって俺たちオニツカ持ってるし履いてる!ここだーーー!!!
こうしてニッシーの情報を全面的に信じ「オニツカタイガー」への自主プレを決めたのです。
通常の自主プレでは、まず会社に意向を伝えクライアントとの窓口として営業をアサインしてもらい、アポをとってもらうのですが、過去の苦い経験からプレゼン自体にNGを出されることを恐れた僕らは、カタチになるまで誰にもバラさないと決め、秘密裏に動き始めました。今考えればリスクだらけ、会社員としてもあるまじき行為でしたが、若かったもんで。やってしまいました。
僕はさっそく代官山のショップに電話をかけました。「あの、私ビーコンという外資系の広告会社の者ですが、オニツカの大ファンでして、勝手ながらブランド広告を考えちゃいまして、見ていただきたいと思っているのですが…」。そこは本当に広報室でした。でかしたニッシー!突然のラブコール、何を話したか、うまく話せたか、あまり覚えていません。とにかく必死でした。そして、何とか僕らの熱意が伝わり、広報担当の方と会えることになりました。
次の週、慣れないスーツでクレデンシャル(かなり凝った会社説明用のキット)を抱え、単身、代官山のショップを訪ねました。ビーコンの会社紹介と僕らがオニツカに提案したい理由を熱く語りました。すると、担当の方から思いもよらない返答が。「実は我々もこれから広告活動をしていきたいと考えていました。ちょうどパートナーを探していたところです。ぜひ企画を見せてください。楽しみにしてます」。何というタイミング!何というヒキの強さ!これが、運命の出会いってやつだ!いくつものラッキーが重なり、僕らは切望したブランドに携われることになったのです。
利益をあげるか広告賞を獲るか
クリエイティブエージェンシーには2つの評価軸があります。ひとつは当然ながら収益、利益。もうひとつは、クリエイティブの質。これは多くの場合、広告賞が獲れるかどうかで計られます。特に海外の権威ある広告賞は重要視されています。ここガイシでは、賞を獲ることはクリエイターのエゴではなく、会社の使命なのです。ビーコンは世界中にあるレオ・バーネットの東京オフィスでもあり、広告賞獲得によってレオ・バーネット全体の価値や評価を高める義務があります。そうすることが大きなグローバルブランドのビジネスを獲得することに直結するからです。
僕は、オニツカで賞を獲ることを会社と約束し、新規クライアントとして認めてもらいました。予算はないけど、チャンスはある。この賭けは吉と出ました。完全内制のビーコンは、プレゼン用の素材の全てを自力で作るので、プレゼンするまではお金がかかりません。さらに制作過程においても、社内のプロダクション部がサポートしてくれます。プロダクション部には、プロデューサー、アートバイヤー、エディターが在籍しています。これはガイシ特有のもので、中でもプロデユーサーの役割は国内広告会社のクリエイティブプロデューサーとは異なります。ガイシのプロデューサーは企画を実現する方法を考え、最適な制作会社やスタッフを選別、納品までの細かい連絡や段取りを一手に担ってくれます。おかげで僕らは企画立案と制作作業に集中できる。いわば制作過程で最も頼りになる秘書みたいな感じです。また社内に編集スタジオもあるので、オニツカはそれら全てをフル活用して10万円でCMをつくるなどという無謀なことも実現しました。本当に多くの人に助けられました。
突然打たれた「ピリオド」
オニツカはいくつもの広告賞を獲得しました。クライアントさんが常に新しくインパクトのあるアイデアを求め、それを選んでくれたこと。社内チーム、社外スタッフも提案すればするだけ面白いものがカタチになる環境に、予算や時間を度外視して夢中になったこと。良いものが生まれないはずはありません。本当に最高でした。
ビーコンは年末に「イヤーエンドパーティー」という全社員が集まり一年の労をねぎらう盛大なパーティーを開催します。そのメインイベントに「社員が選ぶベストクリエイティブキャンペーン賞」の発表があります。300人の社員一人一票ずつ投じ、その年の最も優れたキャンペーンを選ぶ。ちなみに選ばれたキャンペーンのチームには50万円が贈呈されます。オニツカは2005年、2006年と2年連続でベストクリエイティブキャンペーンに輝きました。
密かに始めたプロジェクトが社員に認められ、会社を代表する作品にまでなったのでした。
しかし2007年、僕らのオニツカは「一業種一社制」というガイシのルールに巻き込まれてしまいました。ビーコンが外資系スポーツメーカーのピッチ(競合プレ)を勝ち抜き、新たなビジネスを獲得したのです。会社としてはすごい快挙で、誰もが誇りに思うような出来事。ビーコンは沸いていました。そして会社は当然のように新たなブランドと契約を結びました。みんなが喜んでいる傍らで味わった屈辱や悲しみは忘れることはありません。賞を獲り、社内でも注目され、拡大傾向にあった僕らのオニツカは、あっけなく無くなってしまいました。
僕は、そんな会社を退職することに決めました。
しかし思わぬ抵抗にあい…そして「格闘時代」へと突入していくのです。