【ソーシャルがわからない企業に明日はない(2)】はこちら
ソーシャル・リテラシーはなぜ必要か
若者のテレビ離れ、活字離れが指摘される一方、携帯電話でワンセグ放送を視聴し、You Tubeやニコニコ動画などの動画サイトを見て、ニュースの情報源に直接アクセスし、ソーシャルメディア上でリンクをシェアし、海外にいる友人とチャットするなどといったことはもはや当たり前となっている。
多くの人がソーシャルメディアを介して情報に接するようになり、効果的なマーケティング活動のために企業のマーケティング担当者には、ソーシャル・リテラシーを高めることが求められている(ソーシャル・リテラシーについてはこの連載の(1)を参照)。
ソーシャルメディアの最大の特徴は「双方向性」にある。顧客の声を聞くために、膨大なマーケティング・リサーチが行われてきたが、ツイッターやフェイスブックと連動したソーシャルウェブなら、企業は直接サイトの訪問者(エンゲージした人)からのフィードバックを得られる。
カレーハウスCoCo壱番屋の創業者で元会長の宗次徳二氏は、「お客様の声は宝の山」をモットーに会社を成長させたという。ソーシャルメディアを介して企業が顧客とのつながりを築くことは、顧客満足を高める付加価値や新たな商品開発への重要な情報源となる。さらに、社員が顧客とのつながりを感じることで達成感につながるなどの効果も期待される。
加えて今後は、テレビ・オンライン雑誌などといった既存のメディアとソーシャルメディアとの連動が進むと予想される。このことは、情報との接し方に大きな変化が生じていることを意味しており、これこそが、本連載のタイトル「ソーシャルがわからない企業に明日はない」のひとつめの理由である。
と、ここまでは当たり前すぎる話なので、ソーシャルメディアがわからない上司に説明するときの参考にでも使っていただき、次に「ソーシャル」の意味をもう少し深く堀起こしながら、「ソーシャルがわからない企業に明日はない」理由をあげていく。
「ソーシャル」そもそも論
ソーシャル(social)とは「社会の」という意味だが、そもそも社会とはなんだろうか。社会学者の宮台真司氏に聞けば、「共同体(コミュニティ)と行政のあいだの中間組織としての市民社会」と教えてくれるかもしれない。市民社会は、欧州における命がけの市民革命によって獲得された市民権の上につくられてきた。たとえば、フランス革命における死者の数は100~200万人と推計されている(当時のフランスの推計人口は約2700~2800万人)。
一方、外圧によって受動的なかたちで近代化への道をスタートした日本の明治維新の死者数は45000人と推計される(当時の日本の推計人口は4000万人弱)。この数の差をもって市民社会への重要なステップである近代革命の成否を論じることはできないとするか、明治維新を近代革命のひとつと位置づけるかは見解が分かれるところだが、歴史的経緯の結果としてのいまをみると、文化人などは「日本人は民度(市民社会の成熟度)が低い」と評している。そこで、「歴史的経緯から、日本は欧米と比べて市民社会の基盤が弱い。または異なる」という仮説に基づいて話を進めよう。
日本人は「ソーシャル」が苦手か?
民度が高いと何がよいのか。
「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」が創発されやすいことだ。ソーシャル・キャピタルとは、「社会的ネットワークとそこから発生する規範と信頼のこと」で、物的資本や人的資本などと並ぶ新しい概念である。多くと友人関係、地域のスポーツクラブ、公の問題を討議できる団体など「顔の見える付き合い」すべてと言ってもいい。ソーシャル・キャピタルが豊かであれば、人々の協調行動が促されやすく、人々の協調行動が活発であればソーシャル・キャピタルが豊かになる循環的な構造をもっていると考えられている(「コミュニティ機能再生とソーシャル・キャピタルに関する研究調査報告書」内閣府経済社会総合研究所編2005年)。
経済資本とは異なり、ソーシャル・キャピタルを定量的に評価する方法はまだ確立されてはいない。しかし、「社会問題に関わっていく自発的団体(NGO・NPOなど)の多様さ」「社会全体の人間関係の豊かさ」などの豊富さと置き換えて考えれば、ソーシャル・キャピタルが豊かな社会においては、貧困防止、治安の向上、福祉機能の多様化、地域の教育機能の向上など、社会にとって好ましい効果があり、結果として行政コストの軽減など経済的なメリットもあると考えられる。
近代化以前には地域の共同体がこれらの前駆的役割を担っていたが、産業文明の発達に伴って、人の流動性が高くなるとともに、行政機能を補完するものとしての中間組織の必要性が高まってきた。
このように近代化の文脈から考えると、「ソーシャル」や「ソーシャル・キャピタル」といった考え方・価値観は欧米で発達してきたものなので、それを歴史的経緯の異なる日本に当てはめると無理が生じる。それをもって、「日本人の民度が低い」と断定するのではなく、「欧米とは歴史が違う日本ではソーシャルの存立基盤や社会に対する人々の考え方が異なるので、ソーシャル・キャピタルの構築のやり方も違って当たり前」と考えてはどうだろうか。
ソーシャルメディアを使うだけのソーシャル・マーケティングは消耗戦で疲弊する
次に、ソーシャル・マーケティングに話を移そう。「ソーシャル」そもそも論をもちだしたのは、ソーシャル・マーケティングにおいて、知っておきたい基礎的な概念であるためだ。目の前で起きている現象に振り回されるのではなく、「本質」をとらえて企業活動の長期ビジョンや戦略に活かしていこうというのが『環境会議』『人間会議』の趣旨なので、冗長かつ遠大な展開を頭の体操と楽しんでいただきたい。
ソーシャル・マーケティングは「ソーシャルメディアを活用したマーケティング」という狭義の捉えに考えていると、テクニックの話に終始することになる。もちろん、多くの人に伝えるうえで基本的なテクニックが必要なことは否定しない。しかし、それだけだと消耗戦で疲弊するのが目に見えている。
AQUAが売れている理由
では、どう考えればいいのか。
世界的に見ても最先端の実験的な取組みを行っているAQUA SOCIAL FES!!(アクアフェス)の現場を取材して、ソーシャル・マーケティングはより広義の概念であることが理解できた。トヨタマーケティングジャパンの一連の活動は、「ソーシャル・キャピタルへの投資」と表現すると、その全体像の理解に一歩近づく。
「そんな不確かなものに経営資源を投入できるのは一兆円企業のトヨタだからだ」
「AQUAが売れているから、新手のプロモーションに予算を投じることができるんだろう」
といった声が聞こえてきそうだ。
しかし、AQUAが売れているのは、これまで時間をかけて入念に行われてきた活動の結果であって、アクアフェスもその結果の一部である。と、同時に将来を見据えたソーシャル・キャピタルへの投資でもある。トヨタマーケティングジャパンは、顧客や地域のNPOや社員といったAQUAを取り巻く人々の協働を持続的に展開することで、ソーシャル・キャピタルの構築と成長をはかろうとしていると考えられる。
次回は、再びアクアフェスの現場に戻り、企業がマーケティング活動の一環としてソーシャル・キャピタルへの投資を行う際のデザインや評価の仕方について考える。
【連載】
エネルギー問題や自然環境保護など、環境問題への対策や社会貢献活動は、いまや広告・広報、ステークホルダー・コミュニケーションに欠かせないものとなっています。そこで、宣伝会議では、社会環境や地球環境など、外部との関わり方を考える『環境会議』と組織の啓蒙や、人の生き方など、内部と向き合う『人間会議』を両輪に、企業のCSRコミュニケーションに欠かせない情報をお届けします。 発行:年4回(3月、6月、9月、12月の5日発売)