今、ニューヨークにいます。
55年目のニューヨークフェスティバル(NYF)の審査員をしました。
さっき記者会見を済ませてきたところで、この後はカンファレンスや授賞式が始まります。
世界には広告賞(Award Show)と呼ばれるものは大小たくさんありますが、NYFは、他とちょっと違うしくみで運営されています。
そこでまず、この4つの特徴を説明してみます。
(ちょっと広告業界の専門用語が出てきます)
まずひとつめに、全カテゴリーを同じ審査員が審査するということです。
カンヌやクリオ、アドフェストなどほとんどの広告賞審査は、フィルムやアウトドアなどのカテゴリー別に審査員が分かれているものです。
しかしここNYFではまず、カテゴリーごとにGrand Juryという審査員430人が事前にオンラインでショートリストまで選んでおいたものを、25人のExecutive JuryがNYの二次審査で、主要10カテゴリー横断で審査します。
僕は今回、このExecutive Juryを務めました。インドネシアの広告祭で全カテゴリーを審査したことがありましたが、他では初めてでした。
フィルムやインタラクティブ、キャンペーン系の審査はいいけど、ラジオは俺の専門外かなあ、なんて甘えももちろん許されません。
このしくみでは、ショートリスト選びのステージがないので、その疲弊がない半面、最初からそのカテゴリーに対する自分なりのポリシーがないと太刀打ちできません。
例えば、デザインカテゴリーに出品された、課題解決にはなっていないがクラフトが美しく心を打つカレンダーに対して、僕は何点をつければいいのか、をいきなり迫られるのです。
世界のCCOたちが集まるというのがふたつめの特徴です。
Executive Jury は、CCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)などのオフィサーで構成されています。
日本の広告会社のしくみは、グローバルな広告会社のしくみとだいぶ違うので、CDやECDといったディレクターとCCOやグローバルCCOと呼ばれるオフィサーの違いがわかりにくいのですが、オフィサーとは要は経営責任、つまり予算の権限を持ってる人のことです。
今回はDDBグループを率いるグローバルCCOのアミール・カサエイ氏と、レオ・バーネット(LB)グループを率いるグローバルCCOのマーク・タッセル氏を筆頭に25人のExecutive Juryが集まりました。
彼らのプロフィールにある国名は“Worldwide”なんです。例えばアミールは、NYやアムステルダム、上海などに5つの家を持っていて、世界中のDDBを飛び回っているんだそうです。「火事が起きたらどこでも飛んでく消防士みたいだよ」と言ってました。
審査員構成としては、DDBの4人を筆頭に、LB、Publicis(ピュブリシス)、Y&R、BBDO、マッキャン、サーチ&サーチといったネットワークエージェンシー系が3分の2を占めます。残りがクリスピン・ポーター+ボガスキー(CP+B)やユンボンマットなどの独立系。国別構成では北米が半分弱です。
今まで僕が参加した国際広告賞の審査員には、「初めて審査員やりまーす」「英語苦手だけど頑張りまーす」「自分の作品が獲れるといいなあ」的な人が混じっていたりするものですが(僕もかつてはそうでしたし)、ここにはそんな人はひとりもいません。
休憩中や食事中に話す内容も違う。デジタルとクリエイティブのチームをどう融合させるか、ローカルクライアントとグローバルクライアントの比率をどうマネジメントするか、従業員をどう採用し育成するか、フィーを確保するためにどうすべきか、クライアントとのパートナーシップの高め方、ピッチ(競合プレゼン)の是非など、経営の話が多い。具体的なフィーの金額が話に出るのも新鮮でした。日本人の僕にはびっくりするような金額でしたが。
このExecutive Juryのしくみは昨年から始まったそうで、昨年は日本からは電通の鏡明さんが参加されました。
僕は2年前と昨年、オンライン審査の審査員をやってましたが、今年はいろんな経緯があってなぜか僕に白羽の矢が立ちました。
なので行く前はドキドキだったわけです。
NYFの特徴のみっつめは、全カテゴリーを同じ基準で審査するということです。
これは今年の試みで、全部のカテゴリーを、1.Concept Idea、2.Brand Relevancy、3.Production Executionの3つの共通の基準で5段階で決めていこうという試みです。
システムとしてはサブカテゴリー名称と基準が重なってしまってあまりうまくいかなかった面もありましたが、審査する基準としてはやりやすい。
「これは4か5かどっちだろう」と悩むよりも、「アイデアとアウトプットの仕上げは5だけど、ブランドに落ちてないからRelevancyは1」と採点した方が明快だからです。
そして4つめに、NYFは審査委員長をなくしたという点が特徴的です。
広告賞で何が受賞するか、つまり審査のクオリティと中立性は、審査員の人数構成比に加えて、審査委員長の人格が大きく影響します。
僕はやったことはないけど、審査委員長って大変だなあと毎回思います。
審査委員長が明快な基準や指針を決められないと、中立性が保たれる半面、審査が混乱したり、時によっては審査委員長がつきあげられたりします。
しかし逆に、強力な信念がある審査委員長だと、基準がはっきりする半面、自分の思う基準を押し付けすぎて、審査の多様性や中立性が失われたりすることもあります。
これは日本国内でも同じですよね。
ここでは、審査委員長の代わりに、Berlin School of Creative Leadershipのマイケル・コンラッド氏とGunn Reportのドナルド・ガン氏という広告界の重鎮ふたりがモデレートしました。レオ・バーネットを大きくしたふたりです。
この広告界の重鎮ふたりがフラットな立場でモデレートするという考え方はうまく機能したのではないかと思います。
特に審査後半、激しく炎上する審査員たちを粘り強くリードしたマイケル・コンラッド氏の人格によるところは大きかったと思います。
さて、審査が始まってまずびっくりしたのが、審査員たちのまじめさです。
他の広告賞審査が不真面目だったというわけでは決してないのですが、こんなストイックな審査団は初めてでした。
朝9時から時差ぼけに耐えながら窓のない地下室で、夜8時までほぼ部屋から一歩も出ないで審査したのですが、採点に使ったiPadのWifiの調子が悪かったりして、大幅に作業が遅れてその日を終えました。
ここで、我々審査員から驚くべき自主提案が出ました。
「明日は朝8時から始めよう」
全員賛成。え~っ? 僕もついつられて賛成してしまいました。朝8時からですよ! それも事務局でなく25人の総意で。
さらに、次の日の昼にはなんと、
「今後はランチは30分に縮めよう」
その日の夜10時、クタクタになって終わった瞬間には、
「ラジオ審査は体力がある有志がiPadを持ち帰って朝までに採点してこよう」
俺的にはラッキーと思ってたら、その翌日には、
「やっぱりもう一度全員でラジオ全作品を聴いて採点しよう」
最終日すべてが終わった後には、
「学生応募作品はもっとほめるために、もう一度見直そう」
さすがに、最後のはやりませんでしたが、日本人もびっくりのすごい勤勉さでした。
さすがオフィサー! すごい責任感。
しかし、時差ぼけと戦いながら、毎日十数時間行った審査は、間違いなく僕が今までやった国際賞審査の中で、最もきつい体験でした。
ニューヨークに来てから審査が終わるまで、朝から晩までずっと幽閉されていて、部屋に戻ってもすべての時間を審査にささげる日々を過ごし、一度もレストランでご飯を食べたことがなかったのですから。
審査終わったあたりでは、見る夢がいちいちCMの企画になってました。
さっき記者会見で質問されたときに、必要脳にカチッとスイッチ入りましたし。
あと昨日ちゃんと英語でも夢見ましたよ(笑)。
さて、初日の顔合わせを経て、次の2日間は、ほとんどディスカッションなしに、ショートリスト全700エントリーに、5点法で点数をつけてメダル候補を選んでいきます。
その翌日、マイケル・コンラッド氏のモデレートが始まり、平均点3.5以上のエントリーから金・銀・銅・ファイナリストの個人採点するのと、平均点3.0以上3.5未満のエントリーの中から敗者復活戦を行っていきます。
この時点で気がつくと日本からのエントリーはほぼすべて消えてしまっています。中国やインドのものも多くが消えてしまっています。
知名度が低く、欧米の常識とルールが違うアジアからの作品は、説明を加えないとなかなか残るのは難しいのです。投票前の早い段階でのディスカッションが欲しいところ。
その意味で、欧米ネットワークのトップ達が大半を占め、ブロンズに上がるまでほぼディスカッションが行われないまま投票するニューヨークフェスティバルは、日本の作品などマイノリティにとっては不利な構造だと思います。
この点は欧米の広告祭にいつも感じますが、事務局に話してもなかなか理解されないポイントだと思います。
昨年カンヌのフィルムクラフトの審査で伊藤直樹さんがこの点を主張してアジアや南米などのマイノリティへの配慮を勝ち取ったという話は素晴らしいことだと思います。
さてこの辺から、だんだん本格的なディスカッションに入ります。
しかしここからが修羅場、大炎上を繰り返しました。
カテゴリーの定義があいまいだったり、カテゴリーとサブカテゴリーが合ってなかったり、評価基準があいまいだったり、出品の規定にあってなかったり、進行が間違ってたり。
ディスカッションとかいうレベルじゃない。
数人が同時に主張しまくると、まるで先生のいうことを聞かない学校の生徒たちの口喧嘩のようでした。
僕も巻き込まれたり、仕掛けたり、押したり、落としたり、朝6時に起きてみっちり準備した分かなりたくさん発言しました。
エントリーのオリジナリティについても徹底的に議論しました。
あるインタラクティブのエントリーAを敗者復活であげたら、過去に同じアイデアのプリントBがあったと反論を受けました。僕はそれをデジタルにしたことが新しいからこれはオリジナルだと反論したら、今度はそれにそっくりなインタラクティブな仕事Cがあると見せられました。僕はAとCのスタートの期日を調べていって、Aの方が先であることを証明しました。事務局もエージェンシーにコンタクトしてそれを裏付けました。
他にも、同じアイデアが存在するのに他の広告祭で受賞しているものがいくつもありました。
審査員たるもの過去10年くらいのアイデアを知っていなければいけないと思います。
その意味で今回のExecutive Juryの審査は実にクオリティが高かったと思います。
難しかったのは、日本では数年前からあるテクノロジーが、「これは全く新しい!」と評価されたとき。
僕は何度も「こんなの全然新しくないもん!」と言いましたが、逆に「テクノロジーは作ることより広めることのほうが重要だ」なんてアップルを引き合いに出されると、なるほどそれもそうかなとも思ってしまいます。
カテゴリーやサブカテゴリーの定義についても激しい議論がありました。
アヴァンギャルドカテゴリーってそもそも何? チタニウムと何が違うの?
デジタルテクノロジー使わないインタラクティブや、インタラクティブ性のないデジタルキャンペーンはどう評価すればいいのか?
インタラクティブにおけるデザインとアートディレクションの違いは?
などなどです。
広告のカテゴリーはどんどん変化していくものだからこの議論は必要不可欠なものなのです。
4日目の夜にあるカテゴリーの定義をめぐって審査員が大炎上したときです。
ストレスもピークでみんなブーブー、ちょっと険悪な雰囲気になりました。
その瞬間、事務局からワインの差し入れ。
プレジデント自ら赤と白を注いで回ったのです。
一気に和む。雰囲気がガラッと変わる。ジョークが飛び交い笑いが起こる。
アルコールの力はすごいなと思いました。
世界の広告業界のトップにいるオフィサーたちをモデレートするのはものすごく大変です。
ずっと前で立ちっぱなしで集中砲火を浴び続ける白髪のマイケル・コンラッド氏に「マジでタフですね~」と言ったら「まあ、普通だよ」と笑って答えてました。
5日目、審査終了時には「今日はみんな大声でいろいろ主張しまくったね。それがよかった」とさらっと締めて大拍手。
すごい。
彼のクリエイティブに対する愛がそうさせているのだと思います。
人間歳をとってもケタ外れにタフな人がいますが、それは並外れたパッションがある人なんだと思いました。(続く)
【編集部から】今回ニューヨークフェスティバルの開催と重なったため、初回掲載を7日に変更しました。後編は16日に掲載します。
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