ニューヨークフェスティバル(NYF)の授賞式は、カンファレンスの2日目の夜、ニューヨーク公立図書館で行われました。
式自体はこじんまりしていましたが、さすがエンタテインメントビジネスの先進国アメリカ、進行やスクリプトの完成度は高く、ちゃんと笑わせてくれたり楽しませてくれたりしてショウとしてはクオリティが高い。
アジアの広告祭もこういうところに学ぶ点はたくさんあると思いました。
今回の430人のGrand Juryと25人のExecutive Juryによって行われたトータルの投票数は、なんと34万票、これをもってNYFは地球上最大の広告賞になったと発表されてました。
そして、授賞式の最後には、審査員全員が登壇しました。
壇上で握手したりハグしたり、ちょっとだけ誇らしい気分でした。
今回は、前編で書いた審査のいきさつを受けて、広告賞(Award Show)の向かうべき方向について僕の思うところと、僕がNYFで出会ったイチオシ受賞作をいくつかご紹介します。
言うまでもなく、広告業界は今変化を迫られています。
広告会社もクライアントも制作会社も次のあるべき姿を探しています。
なので当然広告賞も次のあるべき姿を目指して変化していかねばなりません。
広告賞のカタチはそれこそドラマ“MAD MEN”の時代に原型ができたものなのですから。
その意味で、NYFは審査のイノベーションにトライしていると思います。
数年前まで正直NYFはアワードのインフレというイメージで、大量に賞を放出する広告賞のイメージでした。
しかし、今は受賞数もかなり絞り込んで、他にはないユニークなしくみを取り入れることで、世界一のアイデアを決める広告賞に生まれ変わろうとしています。
僕はこの変化の時代に広告賞審査が進化すべき方向性が3つあると思っています。
ひとつは、広さ、もうひとつが深さ、そして中立性。
ひとつめは、広告業界の最大の変化である、その領域の拡大に合わせた進化です。
キーワードは「広さ」、つまり「多様性の確立」。
この軸で最先端なのが、名前から「広告」という言葉さえ外してしまって「クリエイティビティ祭」に変貌したカンヌ。
カンヌは、カテゴリーを増やしてきただけでなく、その審査基準の多様性を確立してきました。
「カンヌはカテゴリーを増やしすぎた」と批判する人もいますが、僕がカンヌで審査したときは、効率的に従来の基準で受賞作を選ぶのではなく、新しい審査基準を探そう、つまりこのカテゴリーを進化させるための新しい軸を打ち出そう、という強い使命感に満ち溢れていました。
さらに、審査基準を真に多様化するために、カンヌは審査員のバックグラウンドまでを多様化させました。
トラディッショナルなクリエイティブのエキスパートだけでなく、メディア部門はメディアのエキスパートが、デザイン部門はデザインのエキスパート、PR部門はPRのエキスパートが審査するしくみを作り上げたのです。
審査員の多様化による、評価軸の多様化。僕はこれは素晴らしいことだと思っています。
また、世界には受賞作がどこかの国や地域に偏ったりする国際賞が多い中で、真にインターナショナルな国際賞は残念ながら今のところカンヌだけだと思っています。
前述のとおり、これは審査員構成によるところが大きい気がします。
カンヌは若干ヨーロッパの構成比率が高い傾向にはありますが、審査員の人数が多い分、多様な国から受賞作が出ます。
昨年は、中国、ルーマニア、韓国から初めてグランプリが出ました。
この考え方と反対に、領域が拡大し多様化する時代にこそ、どの領域にも共通するユニバーサルな審査基準を作ろうという考え方もあります。
それが「深さ」、つまり「共通の審査基準の確立」。
これにチャレンジしているのがNYFだと思います。
カンヌがヨコ方向に広がるイメージだとすると、NYFはタテ方向にアンカーを落としているイメージです。
このために、前回お話しした4つの特徴、つまり、(1)Grand Juryがショートリストまで選んだものを、(2)全部門共通でCCOクラスのExecutive Juryが、(3)アイデア、レレバンシー、エグゼキューションという3つの統一審査基準で、(4)審査委員長なしで審査する、という独自のスタイルを確立しました。
NYFも、PR部門、ヒスパニック部門、マーケティングエフェクティブネス部門の3部門はそのスペシャリストが審査しますが、それ以外の10部門は共通の25人のExecutive Juryでやります。
だから、カンヌのように同じエントリーが複数の部門で重複して受賞してしまうということが比較的少ないというメリットがあります。
このために、各カテゴリーのショートリストを選ぶGrand Juryが430人もいるのです。
カンヌがカテゴリー数を爆発的に拡大させたのに対し、NYFはGrand Juryの審査員数を爆発的に拡大させて、エントリーをよりきめ細かく見ることができるシステムを作ろうとしているのだと思います。
僕には、NYFは多様性を追求するカンヌとは正反対の統一化の方向に進化しようとしているように見えます。
最後に審査のクオリティを決める上で時代を超えて大事なものがあります。
それが「中立性」、つまり「公平な審査システム」。
広告賞というものは、その結果が集計されてエージェンシーやネットワークのランキングに反映され、それがビジネスに直結することも多いので、ともすると審査が身内に甘くなってしまいがちです。
そこで、それを防ぐために、例えばクリオ賞の審査では、自分の仕事、自分のエージェンシーだけでなく、自分の属するネットワークへの投票が禁じられています。
他にもネットワークへの投票を禁じている広告賞があるかもしれませんが、僕が今まで審査に参加した広告賞の中ではクリオだけです。
カンヌでも、最高点と最低点をはじいたり、過度に自国に高得点を入れるパトリオットボーティングを算出して警告するシステムがあったりしましたが、僕は同じネットワークへの投票を禁じることができるかどうかが審査のクオリティに大きく影響すると思っています。
広告業界の変化の中で、広告賞もそれぞれ、広さで進化しようとするもの、深さで進化しようとするもの、中立性で進化しようとするもの、この三つの軸で広告賞のオーソリティを競争しているという構図なのではないでしょうか。
国際広告賞の審査をすると審査員仲間に
「日本には、どうしてインターナショナルな広告賞がないの?」
とよく聞かれます。答えにつまる質問です。
世界の広告賞が、ビジネスの競争原理の中で、それぞれの進化軸で生き残りをかけ
て切磋琢磨している中で、日本は完全に蚊帳の外という状態なのを感じます。
「日本では国際広告賞は難しいだろうな」と思う反面、「日本はガラパゴスだから
仕方ないんだよ」という言い訳はあまり健全だとは思いません。
日本のクリエイティビティを高めるために、日本の広告産業の国際競争力を高める
ために、そろそろ日本にも日本らしい国際広告賞があったほうがいいんじゃないか
と思います。
(次ページヘ続く)