自主提案から記者会見へ
2007年北海道夕張市の財政破綻から半年後、僕は夕張市に自主提案をしました。キャラクター「夕張夫妻」を作り尖ったアプローチで夕張市を話題にして再生の足がかりとする。当初はこれを夕張市の様々な負の遺産(つぶれかけた施設やホテル)に活用し「同情するなら金をくれ」的な強烈なメッセージで話題にしていくイメージでした。倒産した父さんと赤字のまっ母さんが手を取り合っているという、夕張の状況をそのまま表した貧乏なキャラクター設定。でも、実際に現地に行ってみて考えが変わりました。自虐だけでは何も救われない。そもそもこの「夕張夫妻」というネーミングは「フサイ」という言葉に「負の負債」と「愛の夫妻」という相反する側面が隠れていることから名付けました。自虐をキッカケに、その裏側にある希望や未来を語っていく。「金はないけど愛はある」という座右の銘や「夫婦円満」というキャラクターの性格に強く光を当てていくようにシフトしました。プレゼン前に夕張の施設を廻りそれぞれにキャッチコピーをつけていきました。例えば「夕張駅」がJR石勝線の終着駅だということを逆手にとって「ここが噂の終着駅、でも愛の始発駅」というように。この感覚が3年弱にわたるキャンペーンの原動力となりました。
思い切ったプレゼン(詳しくは前回のコラムを)は、ボランティアということもあり、大いにウケました。しかも、当時の夕張市長に直接プレゼンすることができ、その日のうちに話が進みました。「これは面白い、黙っていても何も解決しない、やってみましょう」。市長が応援団長となってくれたのです。そして提案から2週間後、夕張市で各メディアを呼んでキャラクターお披露目会見が開かれました。広告会社の人間がこのような会見で金屏風の前に並ぶのは前代未聞のことだったと思います。いろいろと厳しい意見や質問が飛び交いました。企画、キャラクターの風貌、東京のしかも外資の広告会社からの提案、突っ込みどころ満載の記者会見でしたから。でも僕はこの「夕張夫妻」を活用して前向きな話題や利益を生み、街を再生していく決意を熱く語りました。そのためには人の心を強く揺さぶる尖った部分が必要だと。
会見後、報道陣たちによるフォトセッションが行われました。このセッションのために僕らはTシャツとメロン帽子を作り、隠し持っていきました。そしてその場で半ば強引に市長に被せました。これも各メディアに面白がって取り上げてもらうためのアイデア。その後も2度会見をしましたが、次からは市長自ら被ってくださるようになり…本当に感謝です。ちなみに、この帽子は家庭科の先生だった僕の母親の手づくり。「金はないけど愛はある」それを物語っている象徴的なアイテムとなりました。今でも夕張リゾートのホテル内に飾ってあります。
会見の夜、僕らは夕張市内のお寿司屋さんにいました。まさに夫婦で切り盛りしている「夕張夫妻」なお店。19時、店内テレビのニュース番組でちょうど僕らの会見が報道されました。「うお!出てる!すごい!」。僕らは喜んで寿司屋の夫婦に今回のプロジェクトについて話しました。すると表情が一転、「あんたらはまた夕張を食いものにしようとしているのか?一時の賑やかしなどいらない。この取り組みで人がずっとここに住んでくれるようになるのか?」と怒られたのです。夕張の明るいニュースに喜んでもらえる、僕らは夕張のために頑張っている、そう思っていただけにショックでした。この生の言葉はさらに僕の意識を変えました。本当に苦しんでいる地元民がこのプロジェクトを通し自活の一歩を踏み出すために、彼らを納得させ応援してもらうための「夕張が誇れる事実」が必要でした。
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