※本記事は、『ブレーン』の連載「楓セビルのアメリカンクリエイティビティ」の「世界の広告賞を解剖する」シリーズ(12月号掲載分)を転載したものです(一部当時の状況と変わっている部分もございます。ご了承ください)。
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文・楓セビル
国際広告賞の審査はフェアか?
このコラムでは、これまで2 回にわたって、国際広告賞に関する情報を提供してきた。1回目はカンヌを含む横綱的存在である国際広告賞を取り上げ、2回目ではそれより小粒な、しかしそれぞれに個性を持った特記すべき国際賞を紹介した。第3 回目では、多少このコラムの主旨に反するが、西欧で行なわれている国際広告賞が、はたして本当にフェアに、もしくは理解されて審査されているのかどうかを考察したい。
実はこのテーマに関しては、既に何人もの広告人が議論を展開してきた。中でも、バージニア州リッチモンドのザ・マーティン・エージェンシーのCCO マイク・ヒューズが2010 年に『アドエイジ』誌に書いた「なぜ、国際広告賞の審査は間違っているか」という記事は、多くのアドパーソンに国際広告賞の存在を再考させるきっかけになった。
今回のコラムでは、このマイク・ヒューズを含む国際広告賞に関係するアドパーソンへのインタビューと、マイク・ヒューズの意見が本当に正しいのかどうかを調べるために、クリスピン・ポーター+ボガスキー(CP+B)のスウェーデン支社が行なった「ゴールデンエッグ」なる調査を紹介することにする。
マイク・ヒューズの見解
マイク・ヒューズは、ワンショーの“ 名誉の殿堂入り” を果たしている米国広告業界の著名人である。彼が共同CCO を務めるザ・マーティン・エージェンシーは、1964 年、当時はまだ煙草のイメージしかない片田舎だったリッチモンドに、デイビッド・マーティンにより創設された。ローカルエージェンシーの走りともいえる同社を、国際的に知られる広告会社にまで育てたのは、CCOとして君臨したマイク・ヒューズの努力と才能に負うところが多い。ケーブマン(洞窟男)やマスコットのゲイコなどで知られる保険会社ゲイコ(Geico) の作品は、名キャンペーンとして、多くの国際広告賞を受賞している。
このように、マイク・ヒューズは、ローカルベースの広告と、グローバルベースの広告の違いを体験的に熟知しているアドパーソンなのである。「僕の意見を間違って取ってほしくないが、全てのローカル広告が国際的な賞でアンフェアに審査されているという意味では全くない。例えばコカ・コーラやナイキのようなグローバルブランドが、広範囲な消費者を対象にするキャンペーンについては、国際広告賞はちゃんと機能している。世界各国から集まっている審査員たちも、そういった作品には十分に対処できる才能と経験を持っている。しかし、国際広告賞に応募する作品のほとんどは、そういったよく知られているメガブランドのものではない。外国からエントリーされる多くの広告は、特殊な文化や消費者を対象にしたものだ。それが例えグローバルエージェンシーと呼ばれる国際的な広告会社によってつくられたものでも。ひとつの言語、ひとつの文化だけを知っている消費者に向けられた広告を、ロンドン、ニューヨーク、または僕のようにリッチモンドで生活しているアドパーソンにはたして正当に評価できるのか。僕の言いたいのはその点なのだ」と、マイク・ヒューズは言う。
また、言語や文化だけではないと彼は続ける。例えば多くの審査員は広告に登場するブランドを使った経験がない。消費者の日常生活の中にそのブランドが占める価値、意味、ニュアンスなど、全く知識がないのだ。「例えば日本の歌舞伎をとってみよう。拳銃をつきつけられでもしない限り、僕は意味も理由もわからない歌舞伎を数時間も観賞する気はない。だが、日本人にとっては、歌舞伎座に行き、桟敷に座り、歌舞伎を楽しむことは至上の幸福だ。それがわかる審査員は何人いるのか」。
マイク・ヒューズは、国際広告賞で経験した驚くべき事実を披露する。ある年の主要な広告賞で、iPod のテレビCMが「アメリカ的過ぎる」という理由で受賞から削除された。彼がこの意見を述べた審査員に理由を尋ねたところ、「アメリカ人はこういったヒップなものが好きなようだね」と答えたという。iPod の広告がアメリカに登場したとき、いかに多くのアメリカ人がこの広告に共感と喜びを感じたかを、その審査員は理解していないのだ。当然のことである。「それは説明してもしきれるものではない」とヒューズは言う。
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