集合知をつくる対話の心・技・体(3)

小林 正弥 千葉大学大学院人文社会科学研究科教授
戸松 義晴 全日本仏教会、浄土宗総合研究所
枝廣 淳子 環境ジャーナリスト、幸せ経済社会研究所

6月19日掲載の「集合知をつくる対話の心・技・体(2)」の続きです。

全日本仏教会の「脱原発」を求める宣言文

戸松義晴氏

戸松義晴氏。全日本仏教会前事務総長、浄土宗総合研究所研究員。ハーバード大学神学校において応用神学と生命倫理学を学び神学修士取得。心光院住職の傍ら慶應大学や東洋大学などで講師を務める。

――全日本仏教会では昨年12月に「原子力発電によらない生き方を求めて」という宣言文を出されました。

戸松 昨年の12月1日に全日本仏教会で決議をして、宣言文を発表したのですが、これまで仏教会は政治的な問題には極力関わってこなかったので、非常に反響がありました。日本記者クラブからの要請を受けて、記者会見もさせていただきました。

そのなかで、仏教会は「原発の問題をいのちの問題としてとらえている」ことを説明しました。仏教会は「いのちを大切にする」というテーマで様々な研究や支援活動などを行ってきました。「原子力行政を問い直す宗教者の会」というグループもあって、被曝労働や核廃棄物はいのちを粗末に扱うことになるのではないかという問題意識で活動していました。

ただ、原子力問題は非常にラディカルな側面ももっていたため、一般の仏教者や市民は議論に参加しにくい面もありました。

しかし、昨年の福島第一原発の事故以来の問題を事実として受け止めてみると、やはり何の落ち度もないふつうの市民の方々が、家にも帰れない状況は許されることではありません。農業や漁業で生計を立ててきた地域の暮らしは土地と切り離せないもので、避難している人たちは、自分たちだけの問題ではなく、「先祖に対して申し訳ない」とおっしゃっています。

また、放射線の影響は科学的に不明確なことが多く、それが、人々を不安に陥れていることは間違いありません。不安が健康によくないということは、医学的にも証明されていることです。こうした観点から、全日本仏教会のなかでも自然発生的にいろいろな動きが出てきて、何度かの理事長や会長の公式発言を経て、12月には「2度と同じ間違いを繰返さない」ためにも、私たちの立場をはっきりさせることになりました。

他者との対話の前に必要な自己との対話

枝廣 仏教というと、法事のときにお布施を払ってお坊さんのお話をありがたく聞く、といった一方通行のことが多く、対話とは距離があるような気がします。

戸松 仏教では、まず自己との対話を重んじます。釈迦の修行は、座って自分の体験を深く内省し、悪い行いがあったらなぜそれが起きたのか、どうすれば改善できるかを考え、いい行いがあったなら、なぜそれができたのかということを1つひとつ明らかにしていくことに始まります。

これはすべて自己との対話です。原発によって大変な被害を被っている人がいる一方で、私たちは原発の恩恵を受けて便利な生活を享受してきました。これは見たくない現実です。

仏教では「苦集滅道(くじゅうめつどう)」といって、「苦」を直視することから真理の探究が始まります。

また、仏教の基本的な考え方として「縁起」があります。「お元気ですか」「おかげさまで」という挨拶には、関係性のなかで生かされている世界観が表れています。英語では、「ハウアーユー?」「アイムファイン」すなわち、「自分はどうなのか」が中心です。

「永遠絶対なるものはなく、すべては関わりのなかでしか存在しない」という仏教の考え方と、西洋の世界観とが大きく異なるところです。

さらに、日本は世界で唯一の被爆国として、世界に向けて核のない世界を呼び掛けてきました。その日本で原発事故を起こし、風評被害や被曝された方への差別もあり、そのうえ、世界中に放射能を拡散させて迷惑をかけてしまいました。

哲学や宗教は問題解決の知恵

戸松 仏教会としては、これまで仏教者としてきちんと発言してこなかったことに対する反省があります。東電や国のエネルギー政策の問題ではなく、1人ひとりの暮らし方の問題です。国の政策やエネルギー供給システムを変えても、私たち自身が「同じ過ちを繰返さない」という覚悟をもたなければ何も変わりません。

仏教会は日本が戦争に向かうのを支持する動きをしてしまったことに対する歴史的反省を踏まえて、今回明確な意思を示すことを決めました。かつては「人間はパーフェクトではないので、そのときどきで中道を選んでいけばいい」といった論調もありました。しかし、原発問題には、被曝労働など、誰かの犠牲の下に成立つ便利な生活という構造的な不平等があり、これを認めることは仏教の教えに反しています。

――自己との対話を重んじる一方、社会に対して積極的に働きかける方針を示されたのはなぜですか。

禅僧ティク・ナット・ハン

エンゲージド・ブディズム(社会参画仏教、行動する仏教とも)の創始者、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン。

戸松 世界には8万1000の仏教の法門があり、インド、東南アジア、日本、アメリカなど、実に様々なかたちで、その土地と結びついて仏教が発展してきました。そのひとつに、エンゲージド・ブディズム(社会参画仏教)という思想があります。1990年代にベトナム大乗仏教の禅僧、ティク・ナット・ハンが創始し、西洋を中心に広がりを見せています。エンゲージド・ブディズムでは、「知恵」と「慈悲」を追求します。自己との対話によって知恵を高め、それに基づいて行動することが「慈悲」の実践となります。実際に行動して初めて慈悲が成立つという考え方です。

全日本仏教会でも、過去2年間かけてお布施に関する市民との対話を行ってきました。「イオンのお葬式」を運営している方と一緒になって、お布施の定価制などについて意見を交わし、よりよい仏教のあり方を模索してきました。

小林 そもそも古代ギリシャのソクラテスの時代から、哲学や学問一般において対話は重視されていたのですが、多くの日本人はそれを自分たちの身近なところで見たことがありませんでした。学校では一方的に講義を聞き、受験勉強では決められた内容を暗記する、これが当たり前だと思ってきたのです。

お互いの考え方を理解し、各人の考え方が深まることは民主主義の根幹にかかわる大事なことです。逆に一番危険なのは、間違った考え方を押し付けられても誰も何も言わず、そのあいだに独裁者が出てきて支配することです。

  • 集合知をつくる対話の心・技・体(1)はこちら
  • 集合知をつくる対話の心・技・体(2)はこちら

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