有限会社キノトロープ著「素敵なホームページデザイン」
落胆の気持ちが消えないままのある日、大学生協の書店で「素敵なホームページデザイン」という黄色い表紙の本に出会います。96年当時、まだWebデザインという言葉はありませんでした。
というよりも、回線速度が遅いため、デザインというほど潤沢に画像が使えるわけではなく、16色GIFや高圧縮のJPEGを多用し、いかに軽くサイトを構築するかが主でした。しかし、この本にはカラフルで実に多様な「デザイン」が展開されていました。
全く新しいホームページの未来がそこにはありました。この時、私の目を最も引いたのは、ブラッドジョンソン氏が率いるSECOND STORY作のWebサイトでした。
(実は今の京都本社の設計をトラフ建築設計事務所さんにご相談する際に、参考として私が伝えたのが、SECOND STORYのオフィスです。ここからインスピレーションを得て、さらに昇華させ、トラフさんが今のオフィスをデザインしてくれました)
自分もこんなデザインがしたい!この本との出会いが、私をプロダクション設立へと駆り立てていきます。
当時有限会社だったキノトロープさんはその後、株式会社になり、誰もが知る有名プロダクションになります。この本を執筆した生田昌弘社長とは数年後に、京都オフィスでお会いすることになります。その後、キノトロープさんとご一緒に何度もお仕事をさせていただきました。
朝日デジタル広告賞入選
最後に入院していた明石のリハビリセンターに、京都工芸繊維大学の造形工学科の先生が研究で偶然来ていたことがきっかけで、工芸繊維大学に復学後にその先生のお誘いで、京都の企業でつくるまちづくり団体(NPO)の理事になっていました。その活動として、伏見や西陣などで学生仲間と一緒に集客のためのイベント企画・運営をしたり、関連のマイクロサイト制作を行うようになりました。
サイト制作の情熱は有り余っていたので、もっと何か作りたい。そう思っていたら、新聞に「朝日デジタル広告賞作品募集」の文字が。ん? 広告賞? この時初めてWebの広告賞を知りました。朝日広告賞はご存知のように伝統ある賞のため、そのWeb版ということで非常に興味を持ちました。Webの賞としては国内で最古参の部類だと思います。
審査員は、坂本龍一氏に日比野克彦氏。これは出さないと!
いくつかの大企業の名が並び、それぞれに課題が設定されていました。私はイギリスの自動車メーカーのROVERを選択、「絵になるほど美しいROVER」というコンセプトを設定し、当時多用されていたフレームを使い、ブラウザ内が額縁になるようデザイン。これが、ファイナリストに選ばれ、記念CDに収められることになります。授賞式にもご招待いただいたのですが、不相応と思い、不参加。翌年の朝日デジタル広告賞では、JALを選択。50年後のJALというコンセプトでflashを使い、JAL SPACESHIP JOURNEYという作品を制作しました。ブラウザをJavascriptで揺らして機内を表現、ブラウザ内ではCGで未来の空港が表示され、ストーリーが進んでいくというものです。
この作品もファイナリストに。自信があっただけに、非常に悔しい思いをしました。結局、朝日デジタル広告賞はこれ(第3回)が最後の開催でした。
この入選をきっかけに、ついに1997年10月、個人事業登録にてワン・トゥー・テン・デザインを創業することとなります。そして、1-10.comというドメインも同時にNetworkSolutionsで取得。大学近くの8畳のアパートで仕事を始めました。
補足:
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1997年当時は、まだ京都府内での起業は少なかったものの、京都リサーチパークを中心に日本初検索エンジン「ジャパンサーチエンジン」を提供するイーエージェンシーさんやメールマガジン配信サービス「まぐまぐ!」を提供するまぐまぐさんが有名になっていきます。
2001~06年のIT(情報・通信・広告)企業の起業率は、右図のようになっており、開業率は他業種に比べ、最も高い推移となっています。廃業率の推移を見ると、01年度の下期から02年度の上期にかけて、廃業率が著しく高く、00年に起きたITバブルの崩壊を受けて、一時的に廃業率が上昇したものと考えられます。01年以前のデータがありませんので、推測になりますが、00年に向けて開業が相次ぎ、00年で一度大きく淘汰され、01年より新たに開業した企業が多いものと思われます。
社名の由来
1996年4月よりサービスを開始したヤフー・ジャパン。97年の創業当時、インターネット=ヤフーでした。検索にヒットしないサイトは存在しないも同じで、ビジネス上は、地域カテゴリーでは無く、全国カテゴリーに入ることが重要でした。(当時は人力でカテゴリーインデックスが作られていました。)また、カテゴリー内リストで上位にないと見てもらえない。
そう思った私は、数字→アルファベット→日本語の順に並ぶのであれば、数字で始まる社名にしようと考えます(アート引越しセンターと同じ発想ですね)。加えて、当時聞いていたプリンスが、名前を音読不能なシンボルにしていて、その面白さから、一目では判読できない記号のようなロゴにしようと考えます。
こういった考えが頭をめぐるうち、1から10まで何でも貪欲にやるぞ。という言葉が頭に浮かび、1→10designという社名にたどり着きます。なので、実は、意味はあまりないのです。ただのシンボルです。
では、次回、創業から数年のお話をさせていただきます。タイトルは、「仲間意識が会社を潰す」。この時期に、素人経営者の私は様々な壁に当たることになります。
澤邊 芳明「Webプロダクション進化論」バックナンバー
- 第12回 カウントダウン開始、ワン・トゥー・テンの社長をやめます。(10/16)
- 第11回 日本総輸出計画を発動せよ!(10/9)
- 第10回 日本のWebクリエイティブは世界で通用するのか?(10/2)
- 第9回 ゴーストライター百市&綿野(9/19)
- 第8回 コーポレートサイトの未来(9/11)
- 第7回 ホールディングスにして良かったの? に対する本音の回答(9/4)
- 第6回 経営者が語るWebプロダクションの理想と現実(8/28)
- 第5回 それっておもしろいの?(8/21)
- 第4回 自社サイト考(8/7)
- 第3回 仲間意識が会社を潰す(7/31)
- 第2回 ワン・トゥー・テン・トラベルという選択(7/24)(こちらの記事です。)
- 第1回 こんな僕でも社長になれた~初めて過去を語ります~(7/17)