コピーライターを目指したきっかけも大喜利
森本祥司(もりもと しょうじ)と申します。
これから「宣伝会議賞」への取り組みを書かせていただきます。
僕は今年の3月に会社を辞めました。
今は東京でフリーターをしながらコピーライター養成講座に通っています。
講座に通うまでは宣伝会議賞の存在を知りませんでした。
学生でもない広告門外漢がコピーライターになるためには、どうにかして実績をつくらねばと考えていました。そんななか、広告コピーの賞として最大規模の宣伝会議賞を知り、即、応募を決めました。
コピーライターを目指したきっかけは、趣味の“大喜利”です。
大喜利とは簡単に言うと「お題に対して面白く回答する遊び」です。単純なルールですが、お題に寄り添いすぎるとありきたりになるし、離れすぎると訳がわからなくなるので、ちょうどいいところをつくのに技術が要るのです。
高校までは芸人さんがやっているのを見る側でしたが、大学に入ってから、答える側にまわる楽しさも知りました。ただ、芸人さんのようにお客さんを集めることはあまりありません。「大喜利投稿サイト」と呼ばれるWebサイトがあり、そこに参加していました。小さい頃からしゃべることが苦手だったせいもあり、“書く”ことに特化したこの遊びは心躍るものでした。学費を払ってくれていた親には申し訳ないのですが、大学の講義中もノートの端っこにネタを書き留めるという、漫画家を夢見る中学生みたいなことをやっていました。
学業をおろそかにして大喜利にのめりこんだ結果、僕は留年しました。「遊んでばかりいたから痛い目にあった。これからはマジメに頑張ろう」と思った僕は、心をいれかえて勉強に励み、なんとか卒業し、なんとか就職することができました。
大喜利魂を込めた1500本を応募します。
就職先は本当に良い会社でした。仕事は数学の教材をつくることで、理系が好きな僕に合っていました。しかし3年目、ふと「これ、自分じゃなくてもよくないか?」と感じる瞬間がありました。やりがいのある仕事でしたが、自分より向いている人がいるような、もし誰かが代わりにやって、僕より高いパフォーマンスを見せても平気で許せちゃうような、そんな気がしたのです。
転職サイトを見ていると、たまたま、コピーライターという職業に目がいきました。意味だけ知っていて、あまり意識していなかった言葉でした。しかしそのとき、留年してしまうほどのめりこんだ大喜利のことがファーっと頭に浮かんできたのです。コピーライターって、もしかして大喜利じゃないか!?
大喜利がコピーライターにつながるのであれば、大喜利が社会に役立つことになります。自分が人生をすり減らして打ち込んできた大喜利が、人の役に立つかもしれない。そう考えるともうコピーライターを目指さざるを得ませんでした。
コピーの考え方はたくさんあると思いますが、僕は今回、あえて大喜利の技術で宣伝会議賞に挑みます。大喜利がコピーに通用するのか、大喜利が社会に役立つのか。制限枠の1500本すべてに大喜利魂を込めます。
以上、まだなってもいないコピーライターの長ったらしい自伝にお付き合いいただきありがとうございます。今後もお付き合いいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
明日は、赤星薫さん(32歳)の「宣伝会議賞チャレンジ宣言(1)決意の9月 編」をお届けします。
挑戦者16人のプロフィールはこちらから。
【宣伝会議賞チャレンジ宣言(1)決意の9月編 バックナンバー】
- 「宮古島から初の宣伝会議賞グランプリを目指す」富山忠彦さん(37歳)
- 「名誉こそ、この賞に応募した最大の理由です」井上真木さん(29歳)
- 「自分の力試しと、夢を叶えるための糧としてグランプリを目指したいです」笹本貴大さん(22歳)
- 「次回のブログ更新までに3000本書きます」郡司淳さん(27歳)
- 「受賞して、挑戦権を剥奪されたい」安部翔さん(28歳)
- 「“コピーとは、人を動かすコトバのアイデア”と教わりました」藤田雅和さん(36歳)
- 「ほんとうにグランプリを狙っていたので、前回は悔しいだけでした」和泉 真さん(24歳)
日本最大規模の公募広告賞「宣伝会議賞」は第50回を迎えます。1963年にスタート以来、広告界で活躍する一流のコピーライターのほか、糸井重里さん、林真理子さんといった著名な書き手を輩出してきました。50回目となる今回は50社の協賛企業から課題が出されており、第一線で活躍する100人のクリエイターが応募作品を審査します。課題は9月1日発売『宣伝会議』本誌にて発表、2012年10月31日が締め切りとなります。