「コピーライター」との出会いは唐突だった
コピーライターを志したきっかけというか、出会ったきっかけを書きます。そもそも皆さんはコピーライターという職業、それ以前にコピーライターという言葉をどこで、どうやって知ったのでしょうか(お母さん風に言うとこの「どこで覚えてきたの!」)。
私と「コピーライター」との出会いは唐突でした。それは中学生のとき。たしか「将来の自分について考えよう」みたいな授業でのこと。当時から変わった性格だった私は、渡されたプリントの「将来の夢」という項目に関して、自分でルールを決めました。それは「職業ガイドブックをパッと開いて、右側のページの職業を書く」、というものです(自由すぎる・・・)。
友人を机の周りに集めて、ガイドブックを用意。「みんな見よってばい!!」。せーの、パッ!! (プロ野球選手、こい!)。そこにあったのが「コピーライター」。周りの友人も、私も、初めて聞いた言葉。運命的な出会いです。
このことが直接「コピーライターを志したきっかけ」になったわけではありませんが、これ以来、自分の将来を考えるときはいつも「コピーライター」という言葉が頭の中のどこかで顔を出すようになりました。結局、いつの間にか「広告」というものに興味を持ち、いまの大学・学部・ゼミへと導かれていくことに・・・。中学生のころの、あの運命的?な出会いもあって、今年の春からコピーライター養成講座に通い始めることになりました。アホみたいな話です(笑)。
今回初参加。やるからには結果を。
応募の動機についてですが、「力を試したい」というのが大きな理由です。春からコピーライター養成講座を受講し始めたのですが、さらにこれと同時期に、学部が主催する「コピー塾」のメンバーにも選ばれました。このコピー塾は、ある有名な広告マンの方が先生を担当してくれていまして、コピーライター養成講座と同じくらい濃い内容です。講座も塾も、毎回、課題が出題されます。頭の中はいつも課題商品についてのキーワードや、ターゲットの気持ちでいっぱいでした。春からの私は、まさに「コピー漬け」。おそらく、「日本一コピーの勉強をしている大学三年生」でしょう。
そして夏が過ぎて、秋になり、講座も塾も終わりを迎えました。それと同時に始まる「宣伝会議賞」。宣伝会議賞への参加、そしてこの企画への参加を、私という「コピーの漬物」のお披露目の場にしようと思いました。これまで宣伝会議賞に参加したことはありません。
初参加になりますが、やるからには結果を出します。自分を奮い立たせる意味も込めて、この企画に応募しました。応募本数の目標ですが、たくさん出します。応募し終わった後に「たくさん出したな」と思えるだけの本数を応募します。
読んでいただいてありがとうございます。賞に応募する人もしない人も、「ああ、いいもの読んだな」と思えるような内容にしていけたらと思います。キャラは定まっていませんが、今後ともよろしくお願いいたします。一緒に頑張りましょう。
明日は、小橋 元樹さん(23歳)の「宣伝会議賞チャレンジ宣言(1)決意の9月編」をお届けします。
挑戦者16人のプロフィールはこちらから。
【宣伝会議賞チャレンジ宣言(1)決意の9月編 バックナンバー】
- 「3年間で出会った人の分だけ、迷った分だけ、宣伝会議賞と戦える」佐久間仁美さん(25歳)
- 「『コピー年鑑』の編集委員長になる。手始めに、私は宣伝会議賞を獲る」 永井一二三さん(30歳)
- 「グランプリを獲って素敵な初老を迎えたい」中島彰則さん(33歳)
- 「コピーライターとして、自分の名前で勝負できているか?」赤星薫さん(32歳)
- 「趣味の“大喜利”活かして宣伝会議賞に初挑戦」森本祥司さん(28歳)
- 「宮古島から初の宣伝会議賞グランプリを目指す」富山忠彦さん(37歳)
- 「名誉こそ、この賞に応募した最大の理由です」井上真木さん(29歳)
- 「自分の力試しと、夢を叶えるための糧としてグランプリを目指したいです」笹本貴大さん(22歳)
日本最大規模の公募広告賞「宣伝会議賞」は第50回を迎えます。1963年にスタート以来、広告界で活躍する一流のコピーライターのほか、糸井重里さん、林真理子さんといった著名な書き手を輩出してきました。50回目となる今回は50社の協賛企業から課題が出されており、第一線で活躍する100人のクリエイターが応募作品を審査します。課題は9月1日発売『宣伝会議』本誌にて発表、2012年10月31日が締め切りとなります。