北さんの宣伝会議賞の応募歴を教えてください。
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宣伝会議賞に挑戦を始めたのは第42回からです。以来、昨年の第49回まで欠かさず応募しています。初回の応募点数は10本ほど。このときは1本も一次審査を通過しませんでした。翌年以降は、数百単位で応募するようになり、近年は、だいたい500本平均で出しています。
第44回の宣伝会議賞で協賛企業賞受賞をいただき、加えて最終ノミネートに1本選出されて以降は、一次・ニ次審査通過が十数本という結果が続いています。
広告賞へのチャレンジによって北さんが得たものとは。
公募の広告賞がキャリアに影響をどう及ぼしているかは分かりません。ただ、宣伝会議賞応募時に企画したコピー数百本をポートフォリオとしてまとめ、今の会社の最終面接などに持っていきました。「これだけの量のコピーを考えるモチベーションがある」と。それが、入社の決め手になったかは分かりませんが…。
広告賞の受賞を積極的に活用していることはありませんが、「自分の得意な企画を知ってもらう」という点で意義があると考えています。「今回の企画は、北にも入ってもらおう」と、声をかけていただくケースも極たまにですが、あります。
宣伝会議賞については一次審査通過から氏名と応募コピーを掲載していただけるので、同業の方と名刺交換をする際に「宣伝会議賞によく応募していらっしゃいますよね。お名前をよく見ます」と言われることは多いです(笑)。そういう意味では、コピーライターとしての名刺代わりみたいになっているかもしれません。
一方で、苦労するのは仕事との兼ね合いです。実務がやはり最優先になりますので…。学生のときのほうが時間を自由に使えた分、賞にも近かったかなと思います。また、仕事として企画に携わるうちに、知らぬ間に視野が狭くなっていることもあります。公募の広告賞などに挑戦するときは、自分のアタマの中のリミッターを外すことにもけっこう苦労します。
ただ、応募した作品をほめられると、やはり実際の業務でもやる気がでます。どんな栄養剤よりも、元気になれる気がします。
北さんが考える「宣伝会議賞」の面白さ、醍醐味とは。
宣伝会議賞の面白い点は、一次審査・二次審査・最終ノミネートと、審査の経過ごとに自分のコピーがどこまで残っているかを見られることだと思います。自分でいいと思っていたものが、一次審査も通過していなかったり、書いたことすら忘れていたコピーが最終ノミネートまで残っていたり、コピーを見る目と結果を照らし合わせることができるので、模試のような感覚で応募しています。
言葉や企画のコンテストなので、ビジュアルに落とし込む必要性もなく、多少破たんしてても自分が面白いと思ったものなら、文字だけで応募できるところも面白い点です。いろんな視点や切り口を手軽に応募することができるので、トレーニングになると思います。
知り合いのコピーライターも応募していたりするので、みんながどんなコピーを書くのか見られるのも楽しみです。久しく会ってない人の名前を見かけたりすると、懐かしい気分になります(笑)。
最後に今後の目標について聞かせてください。
広告ビジネスというのは、大量生産、大量消費の社会と共に発展してきた面があります。これから社会のかたちが大きく変わっていくにつれ、広告ビジネスもこれまで以上の変化を迫られるのではないでしょうか。言葉でクライアントの課題を解決し、ともに喜びを分かち合う、という基本は変わることはないと思いますが、仕事のやり方も含めて、どうすれば多くの人の幸せにつながるか考えながら、悩みながら、書き続けていこうと思っています。
きた・まさし
2007年ジェイアール西日本コミュニケーションズ入社。半年の営業部門在籍を経て、クリエーティブ部に異動。主な仕事に、JR西日本、熊本県観光経済交流局、読売テレビ、JR西日本グループのショッピングセンターなど。グループ会社から一般のその他の企業、各自治体まで幅広いクライアントの販促活動を手掛けている。
【バックナンバー】
日本最大規模の公募広告賞「宣伝会議賞」は第50回を迎えます。1963年にスタート以来、広告界で活躍する一流のコピーライターのほか、糸井重里さん、林真理子さんといった著名な書き手を輩出してきました。50回目となる今回は50社の協賛企業から課題が出されており、第一線で活躍する100人のクリエイターが応募作品を審査します。課題は9月1日発売『宣伝会議』本誌にて発表、2012年10月31日が締め切りとなります。