郡山さんの宣伝会議賞の応募歴を教えてください。
宣伝会議賞は第47回から応募させていただいてます。この時は、約250本応募し、一次審査通過が11本、二次審査通過が5本という結果。何もかもが初めてだったので、『宣伝会議』一次審査通過発表号に自分の名前が載っていてとても興奮しました。受賞はできませんでしたが、公募・仕事のモチベーションにつながりましたね。
第48回は約60本応募し、一次通過が5本、二次が1本。忙しさを理由に少ししか応募しませんでした。通過結果が発表された時には「もっと数を応募しておけばよかった」と後悔したのを覚えています。
第49回は約300本応募しました。結果は一次が12本、二次が3本。前回みたく後悔しないよう頑張りました。受賞はしなかったものの前回より通過本数は増えたので、うれしいかったです。ちなみに先輩は協賛企業賞をもらっていました。
広告賞へのチャレンジによって郡山さんが得たものとは。
私が勤めている印刷会社はクリエイティブとは無縁で、コピーライター養成講座に通っていてそのおもしろさを知っていた自分には、すこし物足りない気持ちがありました。宣伝会議賞に応募することにしたのは、この状況を打開するためです。会社の先輩を巻き込んで挑戦することにしました。それが47回の宣伝会議賞です。互いにライバルとして意識することで、モチベーションを上げて挑むことができました。私の結果は先に挙げた通り。先輩は約100本応募で一次4本、二次2本。2人とも二次止まりでしたが、雑誌に名前が掲載されるなど初めてだったので、とてもうれしかったです。
その後、応募したことが社内で話題になり、スキルアップのため、どんどん公募に出していこうという空気に。さらに、いままで皆無だったコピーを考える仕事を営業が持ってきたり、「この案件にはコピーを入れた方がいいのでは」と提案したり、仕事の上でも変化がありました。会社全体の仕事の幅が広がり、クリエイティブの質が向上したと思います。
そのほかの広告賞では、ピンクリボンデザイン大賞で佳作に選ばれ、その作品がポスターになりました。それが福岡コピーライターズクラブ賞を受賞。いままで印刷関係という枠組みでしか人脈を持てなかったのですが、受賞をきっかけに、広告会社・制作会社など横のつながりが広がりました。賞金のない賞でしたが、賞金以上の価値がそこにあると思いました。
郡山さんが考える「宣伝会議賞」の面白さ、醍醐味とは。
宣伝会議賞は2ヵ月間にわたる「コピーの修行」です。優秀作品集『SKAT』、『コピー年鑑』に載っている仙人が書いたようなコピーを見て研究し、自分でも書けるように研鑽していきます。誰か一緒に応募しているのであれば、ライバルに負けないようにと、さらに頑張れます。もちろん目指すのは受賞ですが、コピーを考え抜くという作業ができることもこの賞のメリットだと思います。
僕は受賞したことはありませんから、知り合いが受賞していると、嫉妬の嵐です。それが「今度こそ受賞するんだ」、とモチベーションにつながったりもするのですが。
最後に今後の目標について聞かせてください。
今までは仕事ではない作品でしか受賞していないので、次は実務での受賞を目指します。ですがその前に宣伝会議賞で受賞してみたいです。会社の先輩が協賛企業賞を受賞し、受賞式に行ったのですが、もう悔しくて悔しくて。今年の宣伝会議賞で見返してやりたいです。
こおりやま・しゅうた
広告制作会社などを経て2009年5月、末松印刷入社。福岡市、山崎製パン、日本生命などの仕事を手掛ける。08年“若者によるエコ・メッセージ”ポスターデザイン公募で最優秀賞、2010年ピンクリボンデザイン大賞ポスター部門佳作など、公募賞に積極的にチャレンジしている。2011年福岡コピーライターズクラブ賞受賞。
【バックナンバー】
- 味村真一さん「360度、全方位から商品を見てコピーを考えるトレーニングの場」
- 北 匡史さん「自分の名前が掲載されると、コピーライターとしての名刺代わりになる」
- 丸原孝紀さん「宣伝会議賞はオープンなコピー大会。新しい言葉の表現にチャレンジできる」
日本最大規模の公募広告賞「宣伝会議賞」は第50回を迎えます。1963年にスタート以来、広告界で活躍する一流のコピーライターのほか、糸井重里さん、林真理子さんといった著名な書き手を輩出してきました。50回目となる今回は50社の協賛企業から課題が出されており、第一線で活躍する100人のクリエイターが応募作品を審査します。課題は9月1日発売『宣伝会議』本誌にて発表、2012年10月31日が締め切りとなります。