「我々の過ごした1年間が映っていたよ。ありがとう」 ――被災地で伝える側に立った <後編>

岸田 浩和(越境ライター、ドキュメンタリー作家/編集・ライター養成講座第2010年春東京教室、同・2010年10月上級コース修了)

「頑張る」と言わせる取材

東日本大震災から3カ月を迎えた、宮城県石巻市。日本最長の水揚げ岸壁を持つ石巻漁港には、不自然な角度で陸に乗り上げた漁船が横たわっていた。港に隣接する水産団地には100社以上の水産会社が軒を連ねていたが、津波の直撃を受け、全ての工場が操業を停止していた。

「木の屋石巻水産」の倉庫跡には、出荷前の缶詰80万缶が残されていた。社員とボランティアが協力し、4カ月かけて掘りおこした。

「木の屋石巻水産」の倉庫跡には、出荷前の缶詰80万缶が残されていた。社員とボランティアが協力し、4カ月かけて掘りおこした。

後編2_缶詰

鯨の大和煮や金華さばを使った高級缶詰が有名。泥を落とし、丁寧に洗浄してから出荷される。

後編3_震災前の写真

震災前の集合写真が、半壊した倉庫の壁面に貼られていた。会社のシンボルであった巨大な魚油タンクも、津波によって300メートル以上流された。

昭和32年(1957年)創業の老舗缶詰会社「木の屋石巻水産」の木村長努社長が、倒壊した倉庫の前でテレビの取材を受けていた。若い女性レポーターが「復興にいち早く踏み出した被災企業として、今後の抱負をひとこと」とマイクを向ける。握りしめた拳を胸の前に「頑張ります!」と力強く答える木村社長。

後日、木村社長が苦笑いしながら当時の心情を教えてくれた。「あの時、うちの会社は“頑張ります”って状況じゃなかったんだよね。工場も失ったし、社員の給料も払えるかわかんない。カメラが前にあって、“抱負は”と聞かれたら、反射的に“頑張ります”って答えちゃったけど、なんだか半分言わされてるみたいでね」この言葉は、現場の声を伝えようと取材に走っていた私にとって、大きな投げかけとなった。

私は現在、東北の被災地ルポを中心としたメールマガジン「東北まぐ」の取材を担当している。メールマガジン配信の最大手まぐまぐが発行するこの媒体は、通算16号を迎える月刊誌で毎月320万通を配信する。私は創刊号より写真と執筆を担当している。

木の屋石巻水産の取り組みに興味を持った私は、彼らの再建の様子をメルマガ創刊時から5回にわたって連載した。震災直後は廃業もやむをえない状況であった同社。東京の飲食店が、倒壊した倉庫に埋もれた缶詰を買い取ると申し出たことから、会社再建に光が射した。80万缶近くの埋もれた缶詰を、社員とボランティアが懸命に掘り起こす。泥を落とし洗浄した缶詰を希望者に頒布し、貴重な現金収入へと変えていた。

石巻の現場を訪れると、周囲はすさまじい腐臭に包まれていた。近くの冷凍倉庫にあった大量の魚が周囲に散乱しまま腐敗。足を踏み出すたびに、路面からハエが舞い上がり、靴底には重油混じりの重いヘドロがこびりついた。

倉庫跡に積もった腰丈の泥の山から、15人ほどの社員とボランティアが手作業で缶を掘り起こしている。インタビューに答えてくれた20代の社員は「会社や町の復興はまだ先の話。まずは、社員の生活を元のレベルに戻したい。今はそれだけです」と話してくれた。

被災の現場に勇ましい空気はない

後編4_被災地の日常

震災後50日を経た、石巻市南浜の様子。過酷な状況の中にも、人々の暮らしがあり日常の営みが続いていた。

復興の旗手として、彼らを華々しく取り上げるメディアもあったが、私の見た現場には勇ましい空気は微塵もなかった。目の前にある作業を黙々とこなしながら、休憩時間にはローンの残りを心配したり、冗談を言い合って笑う社員の姿があった。

メルマガの記事では、こうした「被災地の日常」を伝えるよう意識した。我々の役割は、ニュースを伝えるテレビや新聞とは違う。そこに暮らす人々の息づかいを伝え、読者が東北へ思いを馳せるきっかけとなるようレポートを続けた。被災地への関心が薄れつつある現在、書き手としても媒体を継続させるため、届けたい読者像をより強く意識するようになった。少しでも東北に関心を持つ読者が、現地へ足を運び、東北の産品を購入する、そうした「行動」のトリガーになる記事に取り組んでいる。

メルマガの取材に並行して、動画での記録も行った。震災1年を機に15分間の映像に編集し、連載と同じ「缶闘記」というタイトルでFacebookにアップした。ナレーションや説明は極力排し、社員の言葉と現場の情景をシンプルにつないだ作品にした。

「たくさんの人に見てもらえるよう、映画祭に出してみては?」という周囲のアドアイスをきっかけに、日本財団主催の動画コンクールに出展。初めての動画作品で、想像だにしなかったグランプリ受賞となった。選考委員の大林宣彦監督からは「缶詰に焦点を絞り、定点観測を続けたからこそ見えてきた被災地のいまがある」との講評を頂いた。続く京都国際インディーズ映画祭でもグランプリを受賞、アジア有数の短編映画祭「札幌ショートフェスト」では、震災関連の特別プログラムで、海外のアカデミー候補作や是枝裕和監督の作品とともに上映された。

けれど、これらの栄誉と同じくらい嬉しかったのは、「我々の過ごした1年間が映っていたよ。ありがとう」という、木村社長からの電話だった。

岸田浩和

kishida

岸田浩和(きしだ・ひろかず 越境ライター、ドキュメンタリー作家)
1975年京都市生まれ。94年、立命館大学在学中に、僻地バックパッカーの壊れた羅針盤「越境新聞」を創刊。「紛争地域の入境指南シリーズ」で、大学厚生課より大目玉をくらう。97年よりヤンゴン外国語大学(ミャンマー)へ留学。国境地帯“ゴールデン・トライアングル”の踏破に情熱を傾ける。水かけ祭り中にパスポートが水損し、99年帰国。2000年より光学メーカー勤務の傍ら、専門誌の寄稿からライター活動を開始。『編集会議』(宣伝会議刊)の作家インタビューの執筆協力など。東日本大震災後は東北取材に注力し、「月刊東北まぐ」(まぐまぐ)へ写真レポートを寄稿中。12年、被災地の缶詰会社再建を追いかけた「缶闘記」を発表。同作で、日本財団・写真動画コンクール2012および、第6回京都国際インディーズ映画祭にてグランプリ受賞。第7回・札幌国際短編映画祭で招待上映。今後は、ミャンマーを題材にしたルポ、ドキュメンタリー映像にも取り組む予定。

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