1月7日、第148回直木三十五賞候補作品が発表された。ノミネート作品の一つが、『図書館戦争』、『阪急電車』、『県庁おもてなし課』などの作品で知られる人気作家の有川浩氏が航空自衛隊 航空幕僚監部広報室を舞台に書いた『空飛ぶ広報室』。有川氏は、広報会議のインタビューで「作家と広報の仕事は似ている」と話した。
出会いは、大胆な売り込み
『空飛ぶ広報室』を書いたのは、当時の空幕(航空幕僚監部)広報室長から、「航空自衛隊を題材にした小説を書きませんか」とメールをいただいたことがきっかけです。これまで、自衛隊を扱う作品をいくつか書いてきて、自衛隊の広報関係者にお会いする機会はありましたが、いきなり作家に対して、「うちで何か書きませんか?」と売り込んできた方は初めて。インパクトがありました。それで広報室にお邪魔したのですが、ある広報室メンバーが、自衛隊50周年記念写真集を広げて、「ここに載っているもの全てが私たちの“商品”です」とおっしゃった。自衛官とはかけ離れた柔軟な発想と大胆なビジョンを持つ人たちに出会って、小説を書くとするなら、彼らを書くしかない、彼らを書きたいと思いました。
実在の人物をモデルとしたのは、広報室長の鷺坂のほかに比嘉一曹がいます。比嘉は広報歴12年のベテランで鷺坂の右腕。一般的に自衛隊の幹部は2~3年ごとに異動があります。比嘉は「広報の現場には、専門的なスキルを持った人材が必要」という考えから、短期間で異動辞令が下る幹部になることを固辞し、現場にい続けた人物です。そんな男気のある人間が生身でいたら、もうその人を書かざるを得ませんでした。
執筆にあたっては、鷺坂室長と比嘉は“できる広報マン”なので、小説の主人公には、広報のことが全く分かっていない“新入り”を登場させました。
主人公の空井大祐は、不慮の事故でパイロット資格を剥奪され、広報室に転属されますが、そこで鷺坂や比嘉の広報パーソンとしての“マインド”に触れぐんぐん成長していく物語になりました。
実際に広報室には、空井ほどシビアな理由ではないものの、パイロットの道を途中であきらめ、広報の道に入った人がいました。航空機のことをよく知る元パイロットが話すことには説得力がありますので、広報という仕事において重宝がられるそうです。
空井がパイロットの夢を断たれ、”なりたかったものになれなかった人”だとしたら、ヒロインの稲葉リカもまた同様に、自分の希望だったテレビ局報道から外されて、不本意な思いで番組ディレクターとして再出発したばかり。しかも、大嫌いな自衛隊の密着取材を言いつけられた。そんな2人が出会って、新たな人生を切り拓くことになります。
世の中のほとんどの人は、なりたいものになれない人だと思います。私自身、作家になりたいと思っても、なれなかった時期がありました。なれない時点で、その人の残りの人生が終わってしまうわけではない。別の生き方があっていいと思います。空井とリカは、そういうことを小説の中で経験してくれました。
作家が立てた波を着地させるのが広報
ある物事を知ってもらうための仕事という意味では、作家と広報の仕事は似ていると思います。この小説自体が航空自衛隊の広報活動の成果そのものですが、私自身の目標としては、「この小説を通じて、一般の人たちが『自衛隊の空軍や陸軍』と言わなくなってほしい」という想いがありました。航空自衛隊は空軍ではないし、陸上自衛隊は陸軍ではない。彼らは、「軍」と言われることに大きな違和感を持っています。本当に「軍」であれば、もっと楽に動けることも多いでしょう。でも、攻めるための「軍」ではなく、有事の際には守るけれども、普段は何事もないこと、活躍する場がないことを願う「専守防衛」の組織だからこそ、人々から誤解され、苦しむこともあります。自衛隊の人たちとは長い付き合いで、そういった彼らの想いは知っていました。ですから、航空自衛隊の広報室を舞台に小説を書く時、彼らの想いを伝えるのが使命だと思いました。
この本は、2011年夏刊行される予定でしたが、東日本大震災が起こったことで、刊行を延期しました。かわりに、被災した、ブルーインパルスの母基地である松島基地を訪れて取材させていただき、「あの日の松島」を書き加えて2012年夏、発行に至りました。彼らは、ヒーロー扱いされるのを嫌がります。自分たちが活躍する時は、一般の人たちが困っている時だからです。そして、活躍している時であっても、自分たちをヒーロー扱いしないでほしいと考えています。震災時であれば、彼らの“大変な境遇”にフォーカスするのではなく、自衛隊が出動したことで一般市民の生活がどのように改善されたのか。その力を自衛隊が持っていることを伝えてほしい。そんな想いを持っています。このメッセージは、物語の最後に空井が報道する側であるリカに向かって発する台詞になっています。
私は、広報活動において困難なのは、内側の人間の意識を変えることではないかと思います。2011年発行した『県庁おもてなし課』は高知県庁で観光広報に取り組む実在の部署「おもてなし課」が舞台です。田舎の人はよく、「うちには何もなくって」と言いますよね。地元の人間に地元の良さを知ってもらうこと、「何もない」というマインドを捨ててもらうことが、観光において最も難しいところであり、皆さんが腐心されるところでしょう。それは、観光だけでなく、全ての広報活動に通じるもの。所属する組織を嘆く人ばかりの会社で、広報がうまく機能するとは思えません。日本人は、自分の所属しているものは大したことはないと謙遜したがる、卑下したがるところがありますが、それを捨ててもらうことが最初のハードルではないでしょうか。そして、そういう人たちを組織の内側にどれだけつくり出すことができるか。そこに働きかけられる人が、広報活動におけるキーパーソンということなのかもしれません。
作家も、そういうことができる可能性のある仕事の一つだと思っています。でも、私自身は高知県庁の人間でもなければ、航空自衛隊の人間でもありません。私にできるのは、石を一つ投げ入れること。そこで立ったさざ波をどのように次の活動につなげていくのか。それは、広報をはじめとする“中の人”たちにかかっています。執筆のために取材させていただく時は、できるだけ取材相手に「書いてもらってよかった」と思ってほしいと取り組んでいます。その想いを引き受けてくれる人が、組織の中にいらっしゃると嬉しいですね。(談)