消費者主体でつくられるメディアの信頼性
── 信頼できるメディアかどうかを判断する基準はありますか。
田端 メディアの信頼を借りて、自社の商品やブランドの信頼性を補完したいという動機だとしたら、自社の商品やブランドがターゲットとしている潜在顧客から、リスペクトされているかどうかが基準になるでしょうね。
高広 消費者やユーザーは、「メディアが信頼できるかどうか」という判断なんかしていないと思うんですよね。自分の考えに合うメディアをずっと購読していくうちに、そのメディアとのエンゲージメントができるわけで。そのメディアが信頼できるかどうかを判断するなんて行動は、昔からないんじゃないかな。
田端 信頼は誰かから与えられるものじゃなくて、自分で判断してつくっていくもの。さっきのリテラシーの話とも通じますね。
高広 今はそれが顕著になってきている。以前は、マーケター側のスケジュールに基づいて、情報や広告を発信していたけど、今はソーシャルメディアや検索を通じた消費行動も、さらには信頼も、コンシューマー側からつくられている感じがします。
── コミュニケーションがメディアに近づいた時、メディアの責任をどう考えるべきでしょうか。
田端 ロッテ「コアラのマーチ」のキャラクターをLINEのスタンプに使ったプロモーションを実施したことがあります。これが恋人たちの間で使われる時に、それが広告かどうかなんて二人の間では関係ない。スタンプを通じて、純粋にコミュニケーションが成り立っているだけの話です。そういう意味では、コミュニケーションが生まれる環境をどのようにつくるかということは、メディアの責任だと思います。LINEでは、暴力的なものを排除して、健全で誰が見ても不愉快にならないようにしようという意志を持って、スタンプのデザインなどを考えています。ただ、その先でユーザーにどう使われるかというところまでは、コントロールが効かない。ある線を超えたら責任を持てないのは事実ですが、できる限り健全な環境をつくりたいと思っています。
高広 二人の間では、「コアラのマーチ」のスタンプもツールとして使われているだけなのだろうけど、広告主にとっては、広告として機能させなくちゃいけない。また別の問題として、義務が発生する気がします。ソーシャルメディアの場合、責任を考える上で重要なのは、そのプラットフォーム上でのルールを設定しているかどうか、あるいは、そこに掲載される内容に対してチェックする体制があるかどうかがポイントだと思います。ルールをつくったり、場所を所有して管理している限りは、プラットフォーム側は責任から免れられないでしょう。
発信側の熱意と商品力が成功の可能性を広げる
── 今のメディア環境をどのように捉えたら良いでしょうか。
高広 企業にとって買えるものだけがメディアじゃない。看板や店頭POP、あるいは名刺など、外部の人と接する時に使う全てのツールがメディアであり、コミュニケーションのアセット(資産)だと捉えています。そのアセットをどのように有効活用するのかも含めて、メディアやコミュニケーションを見直す発想が求められると思います。
田端 どんな大金をかけて、あらゆる手法を使ってマーケティング活動をしたとしても、広告する対象が、経営層から生産現場までが覚悟をもって開発したような商品・サービスでなければ、当然ながら、なかなか広がっていかない。逆に、そうした覚悟で臨んだ商品・サービスがあれば、成功の可能性がますます広がっていく時代だと思います。
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