「先入観なく読んでほしい」
著者の意向を尊重した上でのプロモーション展開
「村上春樹さんの新刊が出る」、との情報が初めて公になったのは2月16日付の朝日、読売の両紙において。そして、2月28日に「短い小説を書こうと思って書き出したのだけど、書いているうちに自然に長いものになっていきました。僕の場合そういうことってあまりなくて、そういえば『ノルウェイの森』以来かな」という著者メッセージが発表され、次いで3月15日にタイトルが明かされた。
一般的な新刊の宣伝であれば、新聞広告や交通広告として掲載されるのが常だが、この「小出し」ともいえる告知方法は異例。これについて柏原氏は「決して意図して焦らしたわけではない」と説明する。それもそのはず、開示できる情報が本当になかったのだ。
「もともと、『海辺のカフカ』の頃と言われていますが、村上春樹さんの「先入観なく作品を読んでほしい」というご意向から、本の発売まで情報の開示をなるべく控えるという施策がとられてきていました。今回も著者の考えを尊重し、前回を踏襲するかたちで発売日までを迎えることにしたんです。ただまったく情報がないと困る。タイトルがないと予約を受け付けられないですからね。それは春樹さんも分かってらっしゃって、「この段階で(タイトルを)出します」「内容はご紹介できない代わりに、メッセージを2回このタイミングで出しましょう」、という話が事前にありました。それをもって、その時その時にある素材で展開していったのが、今回のプロモーションです」(同氏)。
若い読者に向けて初のインターネット広告
一方、今回初めての試みも。新聞広告中心の従来の宣伝に加え、若い読者層を意識してインターネット広告を初めて活用した。本のタイトルや著者メッセージがネット上に流れると、若年層の読者が素早く反応。アマゾンをはじめとするネット書店での予約につながった。柏原氏は「ネットで情報を見て、そのままネットで買うのは自然な流れ。グーグルとヤフーのリスティング、アドネットワークを活用。アマゾンにも広告を打って、買うところまでの動線をつくりました」と振り返る。
また東京の代官山蔦屋書店では12日の発売を前に、11日の23時からカウントダウンイベントを実施した。東京・荻窪のブックカフェ「6次元」のオーナー・中村邦夫氏と文芸評論家の福田和也氏を招いた読書会を開いたこのイベントには、多くの報道陣が駆けつけ、発売を待ちわびるファンの熱気をテレビや新聞で伝えた。柏原氏によるとパブリシティー効果は約6億円に上るという。
7日で100万部達成の裏に『聞く力』の成功
ただ、「これだけ重版して売り切れるだろうか」「イベントに人は集まるのだろうか」、という不安もあったそうだ。その背景には、「出版プロモーション部ができてまだ1年という経験の浅さに対する自覚があった」と柏原氏。
同部署が新設されたのは2012年4月。それ以前はプロモーションに関する部署は宣伝部しかなかった。しかも宣伝部が扱う媒体は新聞、雑誌と交通広告のみ。テレビ、ラジオ、Webへの出稿やそのほかの取り組みはほとんど行っていなかった。そこできちんとプロモーションのできる部署を、という声が社内から挙がり、生まれたのが出版プロモーション部だった。社内にまったくノウハウがなかったため、はじめのうちは他社の担当者からアドバイスを受け、業務に取り組んだ。それでも同年5月から月2回発行のニュースレターを出し始めるなど、地道に下地を整えていった。
そうした取り組みが軌道に乗ってきたところ、昨年12月に阿川佐和子さんの『聞く力』が100万部に達した。その年のベストセラーの発表があった時点ではまだ85万部だったという部数が、増刷をかけてのち、リリースしたニュース情報が有効にリーチし、大台に乗った。この成功が今回のプロモーション計画を考える上で大いに参考になったと柏原氏。続けて「不安はあったが、『聞く力』のプロモーションが成果につながったことで少し自信が持て、春樹さんの新刊のプロモーションもある程度の道程を描くことができました」と話す。
今後は、どこまで部数を伸ばせるか、そのためのプロモーションに注力していくという。
部数の経過
2月12日、初版30万部と決定(文藝春秋としては過去最高。これまでの最高25万部)。3月15日、タイトルが発表され、予約開始されると書店やネット書店などからの注文が多数入り、3月22日に2刷10万部、4月1、8日に3、4刷いずれも5万部ずつ増刷を決める。そして、発売日の4月12日には5刷10万部、15日6刷20万部、その後も7、8刷と順調に刷を重ねて、発売7日目で100万部に達した。同社の文芸書としては最速の記録。