なぜ、僕らはアメリカでソーシャル・キャンペーンを手がけられたのか。

オフィスにてジェフと。ほんとうに感謝しています。

実は途中で仕事量が2倍になる事件があった。僕たちは最初ヴァインのキャンペーンを考えていたのだが、6月中旬に写真だけだったインスタグラムがムービー・サービスのローンチを発表。急遽このキャンペーンを2つのプラットフォームで展開するものに拡大することになったのだ。まさにいちばんホットな、ソーシャル・メディアの今をとらえた、ライブな仕事になった。

ムービーが簡単に撮れるとは言っても、編集機で編集するわけではないので、基本的にその場でうまく撮れるかどうかにかかっている。この日は、サーフィンをテーマにした撮影だったのだが、当り前だが、海は僕らの言うことを聞いてくれない。何度も撮り直すことになり、かけた時間的にも、体力的にも、いちばんハードな撮影となってしまった。

harada3

ムービー準備中のノゾミ。ほとんど彼女のクラフトによるキャンペーンです。

ジェフはコピーライターでありACD(アソシエイト・クリエイティブ・ディレクター)として僕らの面倒を見てくれていた。アイデアが決まるまでは僕とノゾミでやっていたのだが、サイトをつくるとなると、様々なコピーを書く必要があり、僕にはきつかろうということで、このブランドをもともと手がけているジェフが入ってくれた。

ムービーの企画も見てアドバイスをくれた。英語でアイデアは出せて、企画書のドラフトもなんとか書けても、たくさんのコピーを書く&修正するのはやはり僕ではできない。ジェフとノゾミがサイトをつくるやりとりを横で見ながら、英語のコピーってこうやって書くんだなと勉強しながら、その分僕はムービーの実制作(プロダクション)をしていた。

ジェフは知的でおだやかなとても素敵な人。こんな信頼できるACDがいてくれたら、上のCDも下のコピーライター&ADも楽かもしれないな。ジェフのクルマでビーチから帰る途中、クルマの後部座席の窓ガラスにぺたぺたと貼られたキャラクターのシールを見て、家ではいいお父さんなんだろうな、とほほえましくなった。

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原田 朋(TBWA\HAKUHODO クリエイティブディレクター)
原田 朋(TBWA\HAKUHODO クリエイティブディレクター)

1972年生まれ。博報堂入社後コピーライターとして配属され、2010年からTBWA\HAKUHODOクリエイティブディレクター。主な仕事に、講談社スティーブ・ジョブズ自伝「みんなのしおり.jp」、日産自動車ジューク「世界一退屈なバナー広告」、日産自動車ノート「海上発表会」、キリンビバレッジ「出た!生茶パンダ先生」など。カンヌサイバー部門ブロンズ、TIAAシルバーなど受賞多数。2012年クリエイター・オブ・ザ・イヤー メダリスト。

http://www.dislab.jp/#/dna/tomoki.harada

原田 朋(TBWA\HAKUHODO クリエイティブディレクター)

1972年生まれ。博報堂入社後コピーライターとして配属され、2010年からTBWA\HAKUHODOクリエイティブディレクター。主な仕事に、講談社スティーブ・ジョブズ自伝「みんなのしおり.jp」、日産自動車ジューク「世界一退屈なバナー広告」、日産自動車ノート「海上発表会」、キリンビバレッジ「出た!生茶パンダ先生」など。カンヌサイバー部門ブロンズ、TIAAシルバーなど受賞多数。2012年クリエイター・オブ・ザ・イヤー メダリスト。

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