全広連60周年の青森大会の目玉は、大手広告主でブランドや宣伝・制作を統括する5人によるパネルディスカッション。中央大学ビジネススクール・田中洋教授が広告市場の予測と今後起こりうるメディア環境変化について解説したのち、各社の事例がそれぞれ紹介されました。パネリスト同士の質疑も行われ、2時間にわたる密度の濃い議論が繰り広げられました。3回目の今回は、資生堂・ズナイデン房子氏と大和ハウス工業・山本誠氏の話を中心に紹介します。
▽パネリスト
- トヨタマーケティングジャパン・河本二郎氏
- サントリービジネスエキスパート・久保田和昌氏
- 味の素・島崎紘而氏
- 資生堂・ズナイデン房子氏
- 大和ハウス工業・山本 誠氏
▽モデレーター
- 中央大学ビジネススクール教授・田中 洋氏
ブランド、大胆に方向転換――資生堂・ズナイデン氏
利用シーンに消費者がいなくなった
資生堂 国内化粧品事業部 ブランド企画部長
ズナイデン房子氏
資生堂にて、国内化粧品事業部のブランド開発、
ブランド育成、ブランドポートフォリオなど、ブラン
ドマネジメント全般を担当する。
ズナイデン(資生堂):当社のシーブリーズというブランドは、売り上げの低下に歯止めがかからず、数年前まで苦戦を強いられていました。しかし、リポジショニングをきっかけに、今や若年層のお客さまから大変強い支持をいただいています。
シーブリーズは1902年に家庭用常備薬としてアメリカで誕生しました。69年に日本に入り、80年代はマリンスポーツを愛する若者の必須アイテムとして浸透していきます。96年~98年には安室奈美恵さんを起用して爆発的に売れ、その後、2000年に資生堂のブランドになりました。
しかし、売り上げは低迷。ナチュラルエイドをコンセプトに、原点に立ち返ったコミュニケーションを展開しましたが、01年から6年間売り上げは下降。原因はブランドイメージと若者の生活志向とのギャップでした。かつてシーブリーズはマリンスポーツ愛好者に支持されていましたが、今多くの若者は海で体を焼きません。使用シーンに若者がいないのです。
そこで、07年に新市場への方向転換を決意しました。ブランドのポジショニングは海から街へ、使用シーンも「夏の海」から「オールシーズン・あらゆる場所」へ。ブランドの位置づけは「日焼け後の救済」から「汗ケア」に。主力商品を汗ケアカテゴリーのデオ&ウォーターに変更して、「すべてのいい汗に」とのタグラインをつけました。
コアターゲットは流行に敏感で新しいトレンドを生み出す女子高生。広告表現は学校シーンを起用し、デオ&ウォーターのパッケージもカラフルなデザインに変更、香りの種類も増やしました。
女子高生に人気の雑誌「セブンティーン」などとのタイアップ、堀北真希さんを起用したテレビCMなど、生活動線上にタッチポイントをつくるプロモーションを集中的に実施しました。女子高生の共感を得やすい「恋」の要素を加えた広告展開や、ティーン対象全国100万人サンプリングを実施しました。
09年には北乃きいさんと林遣都さんを起用して、汗ブランド初のユニセックスブランドとしてコミュニケーションを展開。10年は川島海荷さんを起用して、汗をかかないシーンでの使用を訴求。ケータイ小説の配信、デジタルコンテンツの充実を図り、ターゲットへのアプローチ拡大を目指しました。11年は新しい香りの追加とUVカット&ジェリーを発売し、おしゃれケアとしての提案をしています。12年はデオ&ウォーターと日焼け止めの2本柱で10代の生活動線上に密着したコミュニケーションを徹底しました。
07年に方向転換して、ティーンの生活動線上に徹底したコミュニケーションでブランドポジションを確立した結果、売り上げは右肩上がりに転じ、見事V字回復を果たすことができました。
一昨年前まではウォーター状のデオドラント製品はシーブリーズしかありませんでしたが、今では競合商品が次々と発売される激戦区となりました。私たちも次のステージ戦略に転換していけるよう取り組んでいるところです。
正しいと信じてやり抜いた
山本(大和ハウス工業:)07年に現場志向とのギャップに気づいて方向転換されたことは素晴らしいことだと思います。右肩上がりの結果を出しながらコミュニケーションを続けられるにはご苦労もあったことでしょうね。
ズナイデン:ブランドのリポジショニングでは、何を変えて、何を変えないか。どのように分析して、どのように決断をするのか。一度決めたことをどうやり抜いていくかが最大のチャレンジだったと思います。
シーブリーズのリポジショニングでは、売り上げの中核をなす製品を中心から外すことや、ターゲットを大きく変更することへの反対がありましたが、方向転換することに自信を持ち、とにかく進んでいきました。売り上げが右肩上がりに転じ、その成功体験が自信となり、関係者全員が元気になることができました。苦労もたくさんありましたが、そのことが一番うれしいことでした。
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