しかし、実際にはそうはなりませんでした。映画のような大型のコンテンツを作る体制は、テレビには過剰だったからです。結果、スタジオも機材もなく、有名俳優も使えない零細プロダクションに、全ての大手映画会社が敗退したそうです。映画会社が3億円かけて1時間のテレビドラマを作るところを、零細プロダクションは3千万円で作り、視聴率でも負けなかったのです。
実際に、当時のテレビの制作風景について、『月光仮面』をはじめ、黎明期のテレビ番組を数多く作った川内康範氏が、竹熊健太郎氏のインタビューに答えて、書籍『篦棒な人々―戦後サブカルチャー偉人伝』で次のように答えています。映画のようなロケ撮影が、予算がないテレビ番組では出来ず、主にスタジオのセットで収録していた時代です。
俺はテレビの美術の人たちを呼んでこういった。「当分の間、テレビがセット芸術だと思われるのは避けて通れないことだ。なんでも映画のマネをしていちゃいけない。俺の『丹下左膳』はいっさいロケ撮影をしない」と話したんだ。
箱根の河原のシーンだろうがなんだろうがロケーションをしない。「そのぶん美術のほうでそれらしく作ってくれないか」と頼んだ。映画のマネばかりしていたら映画を超えられないんだからね。(中略)
セットもムダに大きくする必要はない。金のかけかたを間違ってはいけないんだ。代わりに屏風を1枚置いておけばいい。役者は屏風の前で芝居をした。そういう工夫をして、セットを減らしていったよ。
このように、映画に比べて予算がない中で、制作の手間とコストを下げる工夫を、かつてのテレビは熱心に行っていたのです。テレビより制作予算が少ないネットでは、もっと工夫をしないといけないでしょう。
映画会社は、既に大規模な制作体制ができあがっていたため、まずはコストがこれだけかかるという前提で商売をして失敗しました。一方零細プロダクション側は、「テレビ側から見たコンテンツの適正価格―プロダクションの適正利潤=制作コスト」で見積もりました。
当時のテレビ局で確保できる制作費を見極め、その範囲で制作できるよう、制作体制を映画よりもシンプルにしました。そして、また同じ歴史が繰り返されています。テレビコンテンツを作る体制はネットでは過剰で、例えばどのテレビ局のネット動画放送も、新興のニコニコ動画に、少なくとも視聴数ではまるで、かないません。