自動車業界に学ぶ、大量生産の秘訣
世界で初めてベルトコンベヤー方式で自動車を大量生産することに成功したヘンリー・フォードの自伝『藁のハンドル』には、コンテンツを大量生産するヒントが詰まっています。
フォードが登場する以前の自動車は1台1台、手作りで作られていたため高級品で、庶民に手が届くものではありませんでした。フォードは、部品の標準化と、徹底したローコスト化により大量生産を実現し、誰もが車を買えるようにしました。
表題にある『藁のハンドル』とは、農場から毎年多量に出る不要な麦藁を、ハンドルを作る素材に活かしたことで、ローコスト化ができたエピソードから名づけられています。自動車の大量生産の実現といえば、ベルトコンベヤー方式をイメージしがちですが、実は徹底したローコスト化こそが大切だったのです。
フォードが大量生産で目指したのは、「この世を良質で安価な生産物で満たして、人間の精神と肉体を、生存のための労苦から解放すること」でした。同じように、もしネットでもテレビのように、製作費をかけたコンテンツが日々大量に生産されるようになれば、もっとみんなが楽しくなると思うのですが、まだまだネットではコンテンツの生産量が少ないのが現実です。
誰もコンテンツを作らないネットの現状
ネットでは、普通は広告とコンテンツは分けられています。ウェブメディアも通常は、コンテンツで集客し、そのコンテンツの周りに配された広告枠の販売で売上をあげようとします。そのように広告とコンテンツが分かれている場合、PVを上げながら、いかにコンテンツの制作コストを下げるかの勝負になってきます。
では、コンテンツの制作コストを下げようとすると、何が起こるでしょうか?
いずれ「コンテンツを作らない方がよい」という結論に行きつきます。
誰かが作ったコンテンツにタダ乗りすればよい、ということになっていきます。
そもそもネットの業界の人たちは、効率追求の志向が強いので、効率の悪いコンテンツ制作を避ける傾向がありますし、自然の流れだと思います。
「ムダを効率的に生み出す」という矛盾を乗り越える
ここで考えたいのは、「コンテンツを作るとはそもそもムダで非効率なものではないか?」ということです。極端な例ですが、冒険家の三浦雄一郎さんが、80歳でエベレストの登頂に成功したことは、多くの人に感動を与えました。人が感動したのは、それが、かつてなくムダな行為で、非効率で、誰もやらなかったことだからではないでしょうか?
例えばこれがもし仕事だったら、清掃業の80歳の男性に、エベレストの頂上を掃除してもらうのは効率が悪いでしょう。仕事は基本的に効率を良しとしますが、コンテンツに限っては、必ずしもそうではありません。むしろ逆向きの努力が必要です。そして、そのムダな努力が人を感動させ、人が集まり、それがビジネスにつながります。
つまりコンテンツビジネスは、どうやって“ムダ”を効率的に生み出すか?という、そもそもの矛盾を抱えているのです。例えばテレビは、コンテンツにCMを挟み込むことで、“ムダ”なテレビコンテンツを生み出す仕組みを作りました。もしCMがなかったら、どうなっていたでしょう?
CMの出稿費からくる制作費がなければ、コンテンツを作ることはできなくなります。テレビ黎明期に、最もコンテンツを作っていたのは映画産業でした。CMの仕組みができていなかったら、テレビ番組の製作者が自分たちでコンテンツを作らずに映画批評といった、映画コンテンツに乗っかる企画を考えていてもおかしくはなかったでしょう。
結果、テレビは延々と新作映画の紹介をしているだけのメディアになっていたかもしれません。これは過去の話ではありません。登場人物が「映画とテレビ」から、「テレビとネット」に変わりましたが、同じことが今も繰り返されようとしています。皆さんも、テレビ番組が生み出す話題に乗っかったネット上のコンテンツをよく見かけると思います。その方が瞬間的には、安上がりにPVがとれるからです。しかし、そこにはメディアとしての継続性は生まれない。その先にネットのメディアとしての未来はないと思います。
メディアは、そのメディア自身で、“ムダ”なコンテンツを生み出す仕組みをもたなければ自立できません。効率が良くなければメディアは存在・継続できませんが、ムダがなければ、やがてそのメディアが存在する意味が失われていきます。