2011年の東日本大震災の大規模損壊で一時休館していたスパリゾートハワイアンズ。2012年2月に全面再開してから約1年半、福島の元気を取り戻すべく、フラガールたちが活躍している。
スパリゾートハワイアンズは、福島県いわき市にある大型温水プール・温泉・ホテル・ゴルフ場からなる大型レジャー施設で、「夢の島ハワイ」をイメージしたテーマ・パークでもある。8月1日、そのグランドポリネシアンショーで、新人フラガール7名がデビューを果たした(運営は常磐興産株式会社、代表取締役社長:井上 直美)。
7名は、スパリゾートハワイアンズ付属のフラガール養成学校「常磐音楽舞踊学院」で4カ月間、猛練習を重ねてきた。開校時の第1期生(昭和40年4月1日入学)から数えて第49期生。新人フラガール7名の加入により、総勢40名となり、フラガールの人数は創業以来最も多かった昭和44年度の43名に次ぐ多さとなっている。
8月1日、午後8時30分からのデビュー公演には、立ち見も含め約1500名の観客が集まった。新人フラガール7名は、ショーの2曲目となるニュージーランドの踊り「ワイアタ ア リンガ」で、お客様からの「がんばって」という声援に迎えられて登場。ポイボール(紐の先にボールを付けた踊りの道具)を使用した踊りを可憐に踊りきり、大きな拍手が会場で湧き上がった。
先輩フラガールが福島への想いを込めて作った「アイナふくしま」では、先輩フラガールの歌に合わせ、優雅なフラを披露。エンディングの「フラガール~虹を~」まで全24曲中、10曲に出演し、堂々のデビューを果たした。
会場には新人の家族や友人らも多数応援に駆け付け、終演後はステージから降りてきた7名を祝福。会場はたくさんの笑顔と感動の涙に包まれた。
スパリゾートハワイアンズは、かつて炭鉱の街として栄えた街につくられたリゾート施設「常磐ハワイアンセンター」(じょうばんハワイアンセンター)を前身とする大型リゾート施設。
常磐炭鉱は、1950年に勃発し、1953年まで続いた朝鮮戦争の特需で成長したが、1950年代後半には労働運動の盛り上がりによるコスト増、低価格な輸入石炭との競合により低迷、1955年には常磐炭鉱の整理解雇が始まった。1962年10月の原油輸入自由化などがさらに拍車をかけた。
構造的な不況に陥るなかで、炭鉱労働者やその家族の雇用創出、さらに同社の新たな収入源確保のため、新規事業として立ち上がったのが、「ハワイ」に着目したリゾート施設の計画だ。
炭鉱で厄介物扱いされていた地下から湧き出る豊富な温泉水を利用して室内を暖め、「夢の島ハワイ」をイメージした施設の計画は、当初社内でも疑問視され、根強い反対もあったが、常磐湯本温泉観光社長、中村豊氏の強いリーダーシップで計画は実行された。
1966年にオープンしてからは、毎年、年間120万人以上の入場者を集める人気リゾート施設として親しまれてきたが、2011年の東日本大震災で大規模損壊し、全面再開までに約1年を要した。
いわきは、いまなお予断を許さない状況にある東京電力福島第一原発から50キロ圏内だが、風向きの関係で、放射能の被害の少ない地域でもある。大きな痛手を受けた福島県にとって、新人フラガールのデビュー公演の成功は明るい話題として、今後の再生への大きな一歩となるのではないだろうか。