今回は、終売間近だったブラックサンダーの復活の歴史をご紹介したいと思います。
前回ご紹介したとおり、ブラックサンダーは1994年に発売されました。
当時、当社では「チョコナッツスリー」という商品を販売しており、当社の中では売れ筋の商品でした。パフとピーナッツをチョコレートで固めたチョコバーで、軽い食感を特徴とする20円の商品でした。現在は終売になってしまいましたが…。
当時、当社は子ども向け・駄菓子商品というコンセプトで商品を開発しており、ブラックサンダーは、ナッツスリーの対抗商品として開発されたものでした。軽い食感に対して、「ずしっ」とくる重さを表現しようと、ビスケット、ココアクッキーをチョコレートで固めたチョコバーに仕上げました。ネーミングも子どもが好きそうな“戦隊モノ”を連想させるということで、「ブラックサンダー」に決まりました。
今でこそ、消費者からの認知もある程度高まってきたブラックサンダーですが、発売後10年ほどは「売れない商品」という位置づけでした。1カ月の受注量が1日の生産ロットを割ってしまうほどであったため、1年間休売にした時期もありました。その時は、休売ではなく、終売にする予定でした。
しかし、九州地区では非常に評判がよく、九州の問屋さんからは再販の要望が多々ありました。そこで当時の九州の営業担当者が社内を説得し、なんとか再販が決定。当時の九州の営業担当者の情熱と、九州のお客さまの声がなければ、今「ブラックサンダー」はこの世に存在しなかったと思います。この営業担当は今でも有楽製菓の最大の功労者です。
商品パッケージが現在の3代目に替わった2003年頃になっても、九州地区では人気がまだ持続していました。ちなみにパッケージは、2代目のデザインまでは商品ロゴがアルファベット表記だったのですが、棚の下段で目立たない位置に置かれる商品でしたので、できる限り一目で記憶に残してもらえるようカタカナに変更しました。結構大きな改革だと思いますが、当時は「あまり売れていない商品」という位置づけだったため、大きな反対もなく担当者の意見が採用されました。「何とかもっと売れるように...!」と考え、その他何カ所か変更して現在のデザインになりました。
【初代】
【2代目】
【3代目】
2004年頃には関西地区の学生生協で人気が出たり、少しずつ話題になり始めていました。京都のある大学の生協では、売上ナンバー1の商品になったそうです。また大手コンビニエンスストアへも販路を広げ、定着し始め、徐々に売上を伸ばしていきました。