前回は、ユーザーがプラットフォームに求めるものは「自分が好きな世界観を徹底的にフラットかつ客観性を持って届けてくれること」であるという主張を軸に、オウンドメディアとプラットフォームの違いについて話をしました。僕はこれまで、この「客観性」を担保するものが近年における編集という機能だと思ってきました。しかしながら最近の雑誌マーケットを見ていると、この世界で必要とされるものは、一概に客観性でもなくなってきているように思います。全6回予定のコラムも中盤、3回目を迎え、今回は閑話休題。宣伝・広告とは近いようで遠い、そして遠くて近い(のか!?)「編集」について書いていきます。僕の個人的エピソードの側面が強いので、あまりご興味のない方は読み飛ばしをば・・・。
まず、編集とは何でしょうか。一言でいうと「切って貼る」行為です。そして、切って貼るために何より必要な能力が、客観性と主観性を自由に行ったりきたりすることです。切って貼る対象は、情報だったり、人だったり、クリエイターのアウトプットだったり、シチュエーションによっていろいろです。
新卒で入社した電通を2年で辞め、僕は「GQ JAPAN」という雑誌で編集者になりました。雑誌編集者の視点ではありますが、僕は編集には大きく分けて3つの「切って貼る」行為が存在すると考えています。
1つ目はプランニング(Why、What)、世の中の情報を網羅し、そして切り貼りし、こういう企画があったら面白いのではという仮説を立てます。網羅するまでは客観、仮説は主観ですね。
2つ目はキャスティング(Who)、世の中の才能を切り貼りし、企画を実現するために、ベストメンバーを揃えること。ベストメンバーを集めるには、企画の「面白さ」と「正しさ」の2点が鍵で、これを考えるのが2つ目の大きな仕事です。ここも選ぶまでは客観性、お願いする部分は主観です。
そして3つ目はパッケージング(How、When)、そのアウトプットの切り貼りです。原稿を整理し見出しをつけて、どの写真をメインにするかという細かい部分にはじまり、どの特集をどの順番で見せるかまで細かく考える必要があります。言わば職人芸で、雑誌編集においては一番重要なプロセスでしょう。漫画になっても、文芸になっても、重要度の高低はあるものの、このプロセスはおそらく基本的には変わりません。