客観? 主観? 編集という力

雑誌は主観性が勝負の時代に

インターネットがここまで普及する以前は、雑誌は、新しい情報が載っているというだけで価値がありました。新しい情報にアクセスできる人たちが、雑誌編集者という特権階級に限られていたからです。そして雑誌のターゲットは新しい情報に興味のある人全般でした。では、今はどうでしょうか。新しい情報にアクセスできる層は一次情報のオープン化によってぐっと増加しました。そしてCGM(Consumer Generated Media)、ソーシャルの台頭によって、主にウェブ上で素人~セミプロ編集者が大量に発生し、一次情報が数多くの「ユーザー」によって編集、発信されるようになっています。

ウェブサービスでは、ユーザーからどのように情報が集まり加工されるか、そしてそれをどう見せるかという仕組みを作っていくのがメインの仕事です。ユーザーのインセンティブをうまく設計、そこに人と情報が集まる仕組みを作っていくのに対して、情報の総量ではもはやウェブに到底太刀打ちできない雑誌は、3つ目のステップ、いかにパッケージングで見せるかが大事になってきています。載っている情報の価値で勝負するのではなく、コンテンツをページ順に読んでもらえるという雑誌の「特権」を活かし、ひとつの作品としてそう思ってもらえるようなコンテキストを雑誌に纏わせることができるかがポイントなのです。新しい情報を知りたいから、というのが読者のメインの目的ではなくなり、その雑誌を読みたいと思ってもらえるフックが重要になってきているのです。ある意味、網羅性とは無縁の、編集者が好きなものを好きなように並べていた70年代〜80年代の雑誌作り方に戻ってきているとも言えるのでしょう。その時代の雑誌編集者、やってみたかったなぁ。

そう思うと、最近のマガジンハウスの雑誌などには顕著な傾向ですが、客観性よりもむしろ主観性の勝負になっているといえるのかもしれません。個人の力こそが何のコンテンツをどの順番で見せるかという組み合わせの妙をはじめとして、ウェブとは違う部分を生み出していく。一冊の雑誌としての完成度の高さで戦っていくのには、情報を正しいポジショニングで見せることはもちろん、同時にクオリティの高いZINE(近年、アーティストの間などでブームとなっている個人製作などの小冊子)を作る能力が求められています。

一般誌においては、客観性に裏打ちされた前提でそういう感覚をミックスしていく、情報洪水の中においてもこの部分で魅せられるクリエイティブな編集者しか、今日の雑誌業界では生き残れないといっても過言ではないでしょう。極端にいえば派手派手しい「VISIONARE」のようなプロダクト的魅力を持ったモノのほうが、本来の雑誌の形であり、地味に生き永らえることができるのかもしれませんね。

どちらかというとこういった主観の部分よりも、情報の網羅性・客観性で勝負をしようと思っていた僕は雑誌ではなくウェブの世界の方が向いているのかもしれないと今となっては思います。ウェブサービスが雑誌に圧倒的に負けない部分、そして面白い部分がもちろんあって。次回はその辺りを綴っていこうと思います。ではまた2週間後に!


1 2 3
山本 憲資(Sumally Founder & CEO)
山本 憲資(Sumally Founder & CEO)

Sumally Founder & CEO

一橋大学卒業後、電通、コンデナスト・ジャパン「GQ JAPAN」の編集者を経て、2011年9月「Sumally」をローンチ。http://sumally.com

山本 憲資(Sumally Founder & CEO)

Sumally Founder & CEO

一橋大学卒業後、電通、コンデナスト・ジャパン「GQ JAPAN」の編集者を経て、2011年9月「Sumally」をローンチ。http://sumally.com

この記事の感想を
教えて下さい。
この記事の感想を教えて下さい。

このコラムを読んだ方におススメのコラム

    タイアップ