「私の広告観」
ヒット作品や話題の商品の作り手など、社会に大きな影響を与える有識者の方々に、ご自身のこれまでのキャリアや現在の仕事・取り組み、また大切にしている姿勢や考え方について伺います。
人の心をつかみ、共感を得るためのカギとなることとは? 広告やメディア、コミュニケーションが持つ可能性や、現在抱えている課題とは?
各界を代表する"オピニオンリーダー"へのインタビューを通して、読者にアイデア・仕事のヒントを提供することをめざす、『宣伝会議』の連載企画です。
【連載】「私の広告観」
私の広告観(1)注目高まる『半沢直樹』原作者・池井戸潤さん ー こちらの記事です。
私の広告観(2)ギョギョギョ!世界で通用する、さかなクンの“ギョ”ミュニケーション
私の広告観(3)壇蜜さん「広告のお仕事に呼ばれたら、きちんと『おつとめ』を返せるような存在でありたい」
池井戸潤さん/作家
第145回直木賞を受賞した『下町ロケット』や、テレビドラマ化された『空飛ぶタイヤ』をはじめ、話題作を次々と発表する作家・池井戸潤さん。多くが「企業」を舞台としながらも、表現手法はミステリー、サスペンス、エンタテインメントと幅広い作品群が、企業小説の敷居を下げ、これまで読者として取り込めていなかった女性にも、市場を広げてきた。小説の内容はもちろん、作品タイトルや帯にも見られる、人々の共感を得る "池井戸流"の表現とは。
(「宣伝会議」2013年4月1日号紙面より抜粋)
事実の正確さより登場人物のリアルさを追求したい
人間の内面は映像では描けない
池井戸さんは執筆活動において、いわゆる"取材"を行わない。周辺事実の正確性を追求するのではなく、「登場人物の、人間としての正しさ」を重視することが、小説の"リアリティ"につながるという。
子どもの頃から本を読むのが好きで、高校生の時には趣味で小説を書いていました。昔も今も変わらず、特に好きなのはエンタテインメント小説。読んでいる時にドキドキ・ワクワクできて、かつ「なるほど!」と腹落ちする結末があるものが好きです。趣味が高じて、将来は作家になりたいという思いも、ごく自然に持っていましたが、すぐに作家になれるとは思えず、まずは一般企業へ就職する道を選び、銀行に入行しました。
「やはり作家になりたい」と強く思うようになったのは、銀行を辞めて起業し、ライター活動や税理士向けの講演・コンサルティングなどを手掛けていた頃のこと。「もっと楽をしてお金を稼げないものか…」と考え(笑)、金融実務書を10冊ほど書きました。融資に関する知識と、文章を書くこと。自分が得意とする2つの分野を掛け合わせたのです。そうして間もなく、もともと書きたかったエンタテインメント小説、なかでもミステリー小説に軸足を移し、江戸川乱歩賞に応募。2回目の応募で晴れて受賞することができ、小説家としての道を歩み始めることになります。
小説を書く時に大切にしていることは、「オリジナリティ」、「新しさ」、そして「ダイナミックなストーリー」の3つです。「オリジナリティ」とは、僕しか書けないものかどうかということ。企業や経済・金融をテーマに小説を書ける人は多くないので、「新しさ」を担保できる。そして作中では、たとえば企業間の闘いや、激動の時代を転がりながら生きる人の人生など、ダイナミックなストーリーを描くことに関心があります。
企業や経済を題材にした小説は、緻密な取材なしには書けないと思われがちです。しかし僕は、周辺事実を仔細に確認するような、いわゆる"取材"はほとんど行わないし、作品に登場する企業や人物に特定のモデルは存在しません。小説はノンフィクションではありませんから、周辺事実が寸分違わず正確でなければならないかというと、そうではない。それよりも僕は、人物設計のディテールにこだわっています。なぜなら、小説で描くことができるのは「人間の内面」に尽きるからです。映像では描くことができない、文字だからこそ描けること。人間の内面にいかに踏みこんでいくかが、小説の勝負どころだと考えています。
読者にとっても、小説を読むにあたって最も大切なのは、周辺事実の正確さより「登場人物の、人間としてのリアルさ」なのではないでしょうか。読者は、「この人は、こんな性格だろう」と登場人物の人物像をイメージしながら、物語を読み進めていきます。読者にとって登場人物は、一人のリアルな人間として小説の中に存在しているのです。そして、彼らがその人物像にそぐわない行動をした途端、それまで感情移入していた読者もすぐに離れて行ってしまう。登場人物には、人間としての自然さ・リアルさが不可欠なのです。
周辺情報の取材はしない代わりに、人物像のリアリティを追求するため、構想中の作品のテーマになっている業界の人に話を聞きに行くことはあります。目的は主に2つ。ひとつは、僕が考えている物語が、物語として成立するかどうかを確かめることです。構想中の物語のプロットを話し、その時の相手の反応を見て、一般社会において、そして業界において "あり"か"なし"かを判断します。もう一つは、相手の行動・言動から、その人の人柄や根本的な考え方、ライフスタイルや関心事、業界の雰囲気などを知ることです。それが、「こういう人なら、この局面でこんな行動をとるはず」「こんな事件が起きたら、こんな思いを抱くはず」といった具合に、リアルな人物像を設計していく際の参考になります。
たとえ何百時間、業界研究をしたところで、その分野の専門家にはなれっこない。周辺事実が100%正確な小説なんて、ないと言っていいでしょう。事実に寄りかかった小説は、些細な事実の誤りが小説としての破たんにつながりますが、人物に重きを置いた小説であれば、事実に寄りかからずに、小説として成立させることができると考えています。
小説のリアリティについては、読者も含め、誤解している人が少なくない。たとえば銀行を舞台にした作品に対して、「銀行って本当にこうなの?」「銀行って嫌なところだなあ」と真正面から捉えてしまう読者も少なからずいます。いかにも現実にありそうな話だけれど、書かれていることすべてが事実ではない。それが小説の面白さなんです。