まめぶづくりのおばちゃんは、腱鞘炎に
ロケは、2012年11月、2013年2月、7月の3回にわたって行われました。最終ロケとなった7月は、最終回のシナリオを知ろうと写真週刊誌や民放各社が押し寄せ、ロケ地では望遠レンズで“フライデー”する事件も起こっていました。三鉄には、当然事前に最終回までの台本が届いていました。NHKを名乗る電話がかかってくるなど猛攻勢を受けましたが、そこは口の固い三鉄マン、橋上駅長をはじめ徹底して守秘義務を守りました。「最終回には三鉄の望月社長が登場!開通式で終わるんだ!」と、心の中では教えたくて仕方がない状態だったはずですが。
私の友人に、久慈市山形地区(旧山形村)で加工食品会社を経営している友人がいます。ドラマで「あめえんだが、しょっぱいんだが…‥」という“扱い”をうけた郷土料理「まめぶ」づくりに関わっています。実は山形地区、相撲の力士を何人か輩出していることから、「まめぶ部屋」と称し、時々「全国巡業」しては、まめぶを全国にPRしています。
「あまちゃん」効果でまめぶが大ブレークし、山形地区のおばあさん、おかあさんたちは「作っても作っても終わんねえ」と腱鞘炎になるほど毎夜遅くまで作業をしていました。
友人に「少し余計につくって送って」と注文しましたら、「とてもとても口をはさむ勇気はねえ。目が血走っているし……」というお返事。まめぶづくりの現場は、まるで戦場のようだったみたいです。この地区にとって「あんべちゃん」こそ「まめぶ大使」、ヒロインなのです。
番組が終了し、現地でも「アマロスシンドローム」という言葉が飛び交っています。「終わった気がしねえ」「おら寂しい」「朝三鉄が映ってこねえ」とか、番組を支えた地元の人たちからため息が漏れています。
宮藤さんの素晴らしい脚本に役者陣、NHKのスタッフ、そして久慈市や三鉄職員など地元関係者。数分にしかならないようなシーンを1日かけて撮影した苦労も、今では笑い話です。
でも最大の産物は、三鉄も、まめぶ部屋も、久慈市も、「あまちゃん」で取り上げてもらったさまざまな「素材」、地域に眠る「物語」に気づき、誇りを持つことができたことです。
次回は、その「素材」や「物語」を少しご紹介します。