ふと迷ってしまったとき、仕事に行き詰まってしまったとき、「その人」が自分の先を歩んでいるとわかっているから安心できる。
著名人でなくとも、直接会ったこと、言葉を交わしたことがなくてもかまわない。
ひそかに尊敬し、学びの対象とする「私淑の人」。
『ソトコト』指出一正編集長が、自身の「私淑の人」について語ってくれた。
著名人でなくとも、直接会ったこと、言葉を交わしたことがなくてもかまわない。
ひそかに尊敬し、学びの対象とする「私淑の人」。
『ソトコト』指出一正編集長が、自身の「私淑の人」について語ってくれた。
川を買いたがった小学生
「地元の川を変えたくないから、僕が川を買います」――なんて作文に書くような小学生でした。とにかく釣りが好きで。生まれが群馬で、ヒマさえあれば釣竿を担いで川で遊んでいました。なぜ、「川を買う」なんて言い出したんでしょうね? 実家でクジャクを飼っていたり、祖父が「ウチは山を2つ持っている」と話していたりしたので、「自然は所有できる」という意識が、知らないうちから芽生えていたのかもしれません。
雑誌に触れたのは中学生~高校生くらいだったと思います。アウトドア雑誌も好きでしたし、その頃、愛読していたのは『ポパイ』(マガジンハウス)でした。アイビールックにハマって、ヴァン・ヂャケットの服をムリして買ったりして。ボウズ頭なのにね。僕の中では、釣りもファッションも同様に「カッコいいモノ」でした。その頃から「カッコいい」雑誌をつくってみたいと考えていたように思います。
実際に雑誌編集部に関わったのは大学4年生。大学3年生からすぐ進級せず、一度休学してスコットランドに留学していたのですが、帰国しても、就職活動という気分ではなく…。単位もほぼ取り終わっている。そこで、編集部アルバイトに応募して入ったのが、『Outdoor』(山と渓谷社)です。そのまま就職しました。
その後も釣りは続けていたんですが、ただ釣るだけでいいのか、とも思い始めて。僕が好きなことをずっと続けるためには、川や山、水を良い状態に保たなくてはいけない。何も大きな話ではなく、「そうすれば、結局、大きな魚が釣れるよなぁ」と僕にはとても身近なテーマだったんです。面識もなかった小黒一三さん(『ソトコト』編集長=当時)に電話すると、「わかった。入れ」って。これは、縁ですね。