悲願の沿岸勤務
三鉄の望月(正彦)社長を、ここでもう一度ご紹介します。現在61歳。三陸鉄道の代表取締役社長、前岩手県盛岡広域振興局局長です。
「実は、沿岸への赴任は一般職時代から転勤願いを出していたんですよ。それがことごとく人事から蹴られて。動機が不純だと」と望月社長は述懐しています。
ま、大したことない述懐なのですが、とにかく自然が大好き。春の山菜採りや秋の茸採り。春のヤマメ釣りに年中海釣り。これがしたくて「沿岸部への転勤願い」、なんともおちゃめな社長なのであります。
2010年6月、悲願の沿岸勤務となりました。県庁を定年退職し、俗にいう天下り先が「三陸鉄道」でした。内示をもらった時、「心の中では小躍り、でも顔に出さずポーカーフェース」(本人談)を決め込み、じっとその日を待っていました。6月の株主総会で晴れて承認され、前任の山口和彦氏からバトンタッチ、めでたく沿岸の会社へ再就職となりました。まさか半年後に東日本大震災が来るなんて、当然想像すらできないハッピー気分です。
念願の“沿岸勤務”を喜んだ三鉄・望月社長
着任後、会社内の意思疎通や目標を明確にしようと、会社の「行動指針」をつくり上げました。何度も相談を受けましたが、「社長である望月さんの方針ですから、自分の思うように書きあげたらどうですか」とささやかにアドバイスをしました。生まれた行動指針は「安全・安心の提供」「お客様の満足度の向上」「地域振興への貢献」「社会的責任の遂行」「社員力の向上」の5項目がうたわれています。すべては、社員の力を伸ばし、一生懸命社会、地域に貢献しよう、乗って頂いたお客様、一人ひとりにしっかり感謝しよう」と制定しました。のちにこの行動指針が震災後の社員の心のよりどころになったのです。
東日本大震災の際、社員の心の指針となった三鉄の「行動指針」
就任後、夏がきて秋がくると「そわそわ病」が顔を出し始めました。「草野さん、今は何が釣れますかね。ヒガレイはどうですかね」「そうですね。地域を知るためには、自ら海へ出て確かめないといけませんね」「そうですね、じゃあ資源調査にいきましょうか」と即刻海釣りの話がまとまりました。
翌週「草野さん、山のキノコはどうでしょう。マタタビも色づいてきましたし」「はい、重要な冬の備蓄品のことですね。確かめないと」と、海や山へ週末に出かけることが楽しみになってきました。釣行や山歩きの前日は、「いやー、興奮して2時に目が覚めてしまいました」とまるで子供の遠足気分です。そんな就任後の楽しい日々でした。