観光面だけでなく、何よりも三陸沿岸に「笑顔」を運んでくれました。「前向き」や「絆」という被災者にとっては陳腐な言葉が、「あまちゃん」によって本物になってきました。仮設暮らしの人たちの毎朝の楽しみになり、話題はいつも「あまちゃん」で始まり、無口な団地が声を出して笑っている明るい仮設団地になりました。
商品も沢山売れました。まさに復興支援です。種市の南部ダイバー御膳も人気になりました。三陸は海の物のイメージが強いのですが、次なるスターもわんさかあります。早野崇さんの食用ほうずきは、すこぶるの美味しさ。佐藤力君の酒粕アイスもヨダレもの。山田の松茸などは、その巨大さと香りはまさに日本一。
まだまだ「あまちゃん」は終わりません。三鉄は2014年4月、念願の全線開通の日を迎えます。その式典をどうしようか、楽しみながら企画を考えています。その日だけ発行の、4月から始まる三鉄写真満載のとっておきのカレンダーをつくろうか、など頭の中は「じぇじぇじぇ」です。
とはいえ、三陸鉄道が全線開通を果たせば、ある問題が確実に降りかかってきます。それは、震災前から「10年以上の赤字」を続けてきたローカル線に戻る、ということです。平成6年より右肩下がりで利用者減少、経費増大で赤字を続けてきました。それは、三鉄に限らず沿線の観光施設なども同様です。過疎化、少子高齢化が顕著な三陸沿岸は、もともと経済が疲弊しつつあります。
震災後、人口減少と他地域への移住、移転が深刻になっています。三鉄の最大のクライアントである通学の高校生は確実に減少しています。これから全国の支援を受けて被災地が立ち直っていくにせよ、人口減少はかなり深刻な状況です。
また、政府が威信をかけて早期完成を目指す「三陸自動車道」の建設はどうでしょう。急ピッチで工事が進み、大型工事車両が行き交いある種の賑わいを見せています。この三陸自動車道は、準高速道(高規格道路)で、仙台と八戸間を結びます。つながれば、釜石から仙台まで2時間で結ばれます。現在、釜石から盛岡まで2時間強ですので、一気に大都会、仙台が近くなります。そうなれば、何が起こるか。若者は賑やかな仙台へ流れ、物流も直接仙台、首都圏へと向かいます。これが「ストロー現象」です。沿岸被災地にとって最も大きな脅威である過疎化への道ともなります。多くの観光客が仙台、首都圏から流れてくるというのが賛成する人たちの論理ですが、かなり限定的なものというのが正直なところです。
しかし落ち込んでもいられません。「あまちゃん」はじめ多くの話題発信をバネに、「魅力ある三陸」をつくり上げ、発信していかなくてはなりません。そのチャンスの後押しが「あまちゃん」だったと思います。次は番組頼りではなく、自力の再建です。三鉄こそ、こうした現状を突き破れる可能性があると、強く信じています。「被災地マーケティング」、「被災地広報戦略」この確立を目指していきたいと考えています。
「あまちゃん」に心からありがとう、三陸は明るく復活していきます。