嶋浩一郎(博報堂ケトル) × 髙崎卓馬(電通)
「なぜ新聞か」を説明する責任がある
嶋 メディアを活用する側の変化といえば、90年代中盤を境に、僕らのプレゼンの仕方が変わりましたね。以前はメディアごとの予算がオリエン時にすでに振り分けられていて、「何のためにこのキャンペーンを行うのか」をチーム内で共有する意図も込めて、まず新聞の15段広告からプレゼンしていました。
その後メディアニュートラルの考え方が広がるにつれ、課題と総予算のみがオリエンで伝えられるようになり、僕らもキャンペーンの目的に合わせてメディアを自由に組み合わせるようになりました。予算の縮小やネットの台頭などの背景もありますが、そのころから新聞や雑誌の扱いが減っていったのは事実です。新聞社や広告会社には、あえて新聞を使うことの意味が問われています。
髙崎 ただ枠を売るのではなく、その枠をどういう風にアレンジできてそのアレンジがクライアントのまさにかゆいところに手が届くようにする。そしてそれは新聞でしかできないことだと実感してもらう。そういう風に枠の意味を売るようにしないといけないということだと思います。
嶋 たとえば夕刊なら、実は主婦向け雑誌よりも部数が多いとか、家庭の主婦がいかに日常的に接しているかが分かれば、僕らも「それなら雑誌でも口コミサイトでもなく夕刊という選択肢もある」と考えられる。
髙崎 僕らも広告主に対して「なぜここで新聞なのか」を説明する責任がありますからね。
嶋 冒頭で挙がった「その日に出るニュースに視点を合わせる」という機能も、出稿の決め手になります。新聞だから実現できることをもっと掘り下げて、売り方を考えなければなりません。
髙崎 電車の中づり広告はかなり変化したと思います。昔はじっくり読むメディアの代表でしたが、最近は「みんなスマホを触っていて全く見ていない」とよく言われます。でも、乗車した瞬間は席を探すために車内を見渡すはずです。その瞬間にどう相手を捕まえるか。そう考えるとポータルサイトのバナーみたいなものになっているのかもしれません。看板のようなもののほうが圧倒的に効果がある。
サントリー「金麦」の中づりがいい例ですが、そういうメディアの変化を肌で感じて一番効果的なクリエイティブをしている。だから存在感のある展開ができている。
嶋 あの表現はすばらしいですね。
髙崎 新聞も同じで、メディア環境や生活者の変化に伴い、接触の仕方が変わっていることに自覚的になれば、新たな活用法を探れそうです。ようは肌で感じたものを大切に考えるというか。
新聞の価値をつくる「記者」に注目
嶋 新聞広告を売る立場と、僕らプランニングする側との間に距離があることも、課題の一つです。以前のCD(クリエイティブディレクター)はメディアプランニングをしませんでしたが、今はメディアを横断的に、どこでいつ何を発信するべきかのシナリオを考えるのは重要な仕事です。
表現とメディアが非常に密接になっているので、新聞社や広告会社の新聞担当にも、CDがどういう考えでキャンペーンを立案しているのか、感覚値で知ってもらえると具体的な提案につながるのかな、と思いますね。
髙崎 最近直接メディアの人と広告企画を立案したりしていて、雑誌や新聞の広告的可能性はものすごく感じます。企業や商品を理解したクリエイティブがその労を惜しまずに、きちんとメディアごとに対応したものをつくることがいかに大切かと。読者も広告だから面白くなくていいなんて思ってはいないし、そのメディアでしか出合えない面白い広告があるとうれしいと思うんです。
嶋 僕らの側も、そこは反省すべきかもしれません。先ほどの中づりのように、新聞の役割の変化をつかみ切れず、今の時代に合った新聞の生かし方が分からない。統合型キャンペーンになると新聞広告は加わらないという状況には、そんな理由もあると思います。僕らももっと新聞の役割を探るべきですね。変わらないもの、新しく生まれているものも含めて。
髙崎 あらためて記者の存在に注目しています。朝日新聞では昨年から、記者の実名でのツイッター活用をすすめています。記者の人間的視点に触れたがる人がけっこう多い。新聞の購読の有無を言う前に、このような新しいつながりは、これからの新聞そのものの存在価値を考える大きなヒントになる気がします。
嶋 記者の視点も含めた新聞の情報の信頼性が、広告を承認させる力になっているのは間違いないですね。
(注)この対談は「アドタイ」と月刊「ブレーン」の共同企画です。発売中の「ブレーン」12月号にも掲載しています。