カンボジアへ!そしてタイへ!
この企画を実施することが決まり、「これはチャンス!」と、届けた後に経由地のタイでタイプレミアリーグの試合を視察することにしました。試合日程を調べ、そこから逆算してカンボジアへユニフォームを届ける日を設定しました。
それが、あえなく砕け散った最初のプレゼンからおよそ1年後の、2011年1月下旬でした。ユニフォームは、全国のサポーターの好意で451枚も集まり、その重さは約90kgにもなりました。
“世界一カラフルな校庭”で感じた使命感
一方で寄付先の学校の選定には、予想以上に苦労しました。NPOやNGOを何十も当たったのですが、なかなか良い回答を得られず…。すでにユニフォームの募集は開始して全国から続々と当社に送られてきている状況で、気持ちは焦るばかり。
そんな時、知人に紹介してもらったのが、NGOトローバイク小学校応援団の中村利夫さんでした。さっそく中村さんのもとへ企画を説明しに行ったところ、主旨に賛同してもらうことができ、寄付先が決定。ユニフォーム受付〆切の5日後、出発の3週間前のことでした…。
そんなこんなで、何とか現地に飛び、全校生徒に1枚ずつユニフォームを配布。するとたちまち、子どもたちの顔は笑顔に輝き、すぐに校庭へと飛び出し、遊び始めました。
子どもたちの歓声に包まれた温かな光景を見て、“世界一カラフルな校庭”になったと、見ているこちらもワクワクしてしまいました。そして同時に、いろいろな形で笑顔を届けたり、アジアの人たちに貢献するなど、今まで気付いていなかった価値がJリーグにはまだまだ秘められているのではないかとも感じました。
電気もガスも水道もない農村にある小学校の校庭で、カラフルなユニフォームを着て楽しそうに遊ぶ子どもたちの姿を見ながら、言葉では表せない、使命感のようなものを感じたのです。
写真・ビデオ・メモ、とりまくり!
そして帰路、経由地・タイに立ち寄り、「タイの国内リーグの試合視察」という名の試合観戦を実施。スポンサー企業、実施イベント、運営方法、来場者の属性(これはあくまで、見た目判断ですが…)など、試合開始の2時間前から、試合終了後に観客が帰るまで、一人でひたすら写真を撮り続け、ビデオを回し続け、メモをとりまくりました。
帰国後、レポートを会社に提出。このレポートが功を奏したのか、諦めの悪さと熱意が響いたのかはわかりませんが、「アジアで何かできないか」を正式なプロジェクトとして検討していくことが決定しました。
そして2011年4月、新規事業開発プロジェクトという組織が立ち上がりました。ここからが、本格的なASEAN行脚の幕開けとなります。それは同時に、全く予想もしていなかった展開の始まりでもありました。
(つづく)