週刊誌の記事1本で国家プロジェクトが消え去る…

年金問題など社会問題を追及してきたジャーナリスト・岩瀬達哉氏。そんな岩瀬氏にも駆け出しの時期があった。週刊誌の編集部で取材を始めたころのエピソードを聞いた。

 

就職したのは、飯田橋駅近くの雑居ビルの一室にあった小さな編集プロダクションだった。約30年前である。

応募要項に従って作文を提出したところ、追って連絡があり、試験を受けるためその会社を訪ねた。ところが、目当ての会社をなかなか見つけられず、指定の時間に大幅に遅れてしまった。

看板も出ていなければ、郵便受けもないビルの二階に通じる階段の手すりに、小さく社名が書かれているだけだったので、容易に見つけることができなかったのである。

開口一番、そのことを採用担当者に告げると、いかにもすまなさそうな顔で、近くの喫茶店に連れていかれ、30分ばかり面接を受け、あっけなく採用が決まった。

あとで知ったところでは、筆記試験と数度に及ぶ面接の末、ようやくふたりの新人を採用したものの、ひとりが辞退したため、急遽、再募集をすることとなった。ただ、再び、採用試験に時間をかける気力を失っていたのだという。

いい加減といえばいい加減だが、おかげでこの世界への足掛かりを得たことになる。

そのプロダクションは、ある大手出版社と結びつきが深く、私ともうひとりの新人は、数カ月後には、同出版社の発行する雑誌編集部にデータマンとして"出向"することになった。私が、総合男性週刊誌で、もうひとりが女性誌だった。

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宣伝会議 編集会議編集部
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