【新聞エッセイ】リロードしえぬ重み――津原泰水

広告メディアとしての新聞の価値は十分に認識されているのか――。宣伝会議は10月の「新聞週間」、同月20日の「新聞広告の日」に合わせ、メディアニュートラル時代の新聞のあり方にスポットを当てた新聞「アドバタイムズ」を発行しました。掲載記事をWeb上に順次掲載していきます。

津原泰水(作家)

山崎豊子の逝去は、テレビ報道に反応しているインターネットの匿名記述で知った。そういう時代である。慌てて文学系のサイトへと跳んでみると、すでにその死を悼む声や生前の文業への謝辞が並んでいた。舌っ足らずで飾り気のない大衆の声が、河のようにさざめいては下流へと消えていく。

88歳にして新連載開始の直後という、作家としてはまさに大往生、云うまでもなくベストセラーにも事欠かない。この大きな死を、新聞はどう「まとめる」のかが気になりはじめた。ニュースサイトではなく、紙の新聞だ。見出しに載る作品はどれか、前文ではどういう作家と評されるのか、あらためて目にする「山崎豊子」の大文字は、自分に如何なる感慨をもたらすのか――。

インターネットで訃報に接するたび、それがすぐさま次の訃報に押し流され、やがてまた次の訃報に……という奇怪な抽象画のようなヴィジョンにとらわれてしまい、切迫感をおぼえてしまう習性が僕にはある。その歯止めが新聞であるという小く堅固なイメージもまた、若い頃からいだき続けている。

1980年の冬の早朝、高校生の僕は、自分が配っている新聞でジョン・レノンの死を知った。前夜、階段を上がってきて母から「お前の好きなアメリカの歌手が殺された」と告げられていたのだが、テレビに流れたその名を彼女は記憶していなかった。そのうえ「アメリカの歌手」……むろんレノンは歌手であり、当時はニューヨーク在住、殺されたのも同地だから母は間違っていなかった。しかし下手に知識があると正答しにくい、引っ掛け問題のような表現だ。

ましてや対話の寸前、僕はカセットテープでレノンの曲を聴いていた。だからかえって、まるで思い至らなかった。ニュースが奇妙に日常に馴染んでしまい、いったん消えてしまった一例だ。しかしテレビ万能時代には、「誰か凄い人が死んだ。誰だかは見逃してしまった」という事態が少なくなかったような気がする。

12月、朝刊配達中の通りは真っ暗で、軍手越しに握っている新聞の文字など読めやしない。配り終えたころ空が白みはじめ、自転車の前籠に残っている予備の新聞に、僕は「射殺」の文字を読んだ。人名の一部が覗いていた。自転車を停め、引っ掴んで一面を開く。世界が傾いて滑り落ちていくような感覚をおぼえた。僕はそのニュースを、自分で運んでいたのだ。

報道という言葉が僕にまず想起させるのは、業務用の自転車の前後にどさりと積まれた、紙の束の恐るべき重みだ。そしてリロードも聞き流しもできない、おぼろな光のなかのインクの色と匂いだ。歳月を経るほどに濃さを増して、拭い去れない。


津原泰水(つはら・やすみ)作家。1964年、広島市生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒。ベストセラー『ブラバン』や『11』『バレエ・メカニック』、『琉璃玉の耳輪』など著書多数。


「新聞広告の日」特別号
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