壇蜜さん「広告のお仕事に呼ばれたら、きちんと『おつとめ』を返せるような存在でありたい」──私の広告観(3)

「宣伝会議」2013年12月1日号紙面より抜粋

持てるものしか持たない意識

そんな、読んでくださる方との距離の近さがブログの魅力ですが、それと同じか、あるいはそれ以上に相手との距離が近いのがラジオですよね。リスナーの方との距離の近さが、テレビや雑誌とは一味違う魅力であり、また他にない難しさだと感じています。

今やらせていただいているラジオのお仕事は、提案いただいた企画にそのまま乗ったわけではありませんでした。当初の提案は、私がメディアに出始めた時のイメージをそのままラジオに反映したような内容だったんです。

折込チラシが大好きという壇蜜さん。「広告というと、真っ先にスーパーのチラシが頭に浮かびます。チラシをついつい見てしまう心理って、結構多くの人にあるんじゃないでしょうか。あの何とも言えない“まぬけ感”がいい。完璧なものに対してコンプレックスを感じる傾向が強い時代。どこか抜けている・欠けているということを“おかしみ”に感じてもらうくらいが、ちょうどいいのかもしれませんね」(壇蜜さん)。

たとえば、絵本をセクシーに読むとか…。テレビのバラエティ番組の世界では良いのですが、耳と口が近いラジオの企画としてはふさわしくない。私自身、もともと大のラジオ好きでしたので、「自分の名前が呼ばれると嬉しい」というラジオならではの感覚を味わえる番組にできればと考えています。最近起こった出来事を私自身の言葉で一人のリスナーに話しかける。そういう“狭さ”を、大事にしていきたいです。

「この人」という個人に対して話しかけるラジオというメディアは、この番組を好きで聴いてくれている方々の「好き」にしっかりと触れていなければなりません。自分の言葉でしっかり話さなければならず、その上で真にリスナーに支持されなければやっていけないという、敷居の高い世界だなと感じます。ラジオリスナーの方は、ネットで発言したり反応したりする人が少ないので、そういう“無言の支持層”に対して働き掛ける手段があったらなと、時々思います。

ブログ、テレビ、雑誌、ラジオ…メディアでは、自分の意見を発信しないと内容が薄いものになってしまうと思われがち。特にテレビでは、演出の都合上、言葉少なに語ることを良しとしない文化があるように思うのですが、自分の意見だけをつらつら述べるより、事実を言った上で、最後に少し自分の意見を加えるくらいのほうが、短いながらもよく伝わる気がします。

事実を淡々と述べて、最後に自分が感じたことを限られた字数・秒数で語るという試練を日頃から自分に課していて、ブログでもテレビでも字数・口数にこだわり過ぎないということを、自分の中の約束事にしています。

「できればこんな話を…」といただいた要望を、「ここを伝えたいなら、ここはカットしたほうがいい」と、結構な分量を削らせていただくこともあります。無理に詰め込むことで、逆に見る人を不快にさせてしまう気がして。身の丈に合わない大荷物を抱え込むことなく、自分が持てる分だけ持つ。等身大のことを、等身大の言葉でお伝えしていきたいと思っているんです。

「宣伝会議」2013年12月1日号紙面より抜粋

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