「仏壇」広告から、ビヨンセのアートワークへの道

音楽と漫画が大好き、勉強嫌いな高校時代

坂本龍馬と“カツオのたたき”の里、高知県育ち。私の高校時代はアムラー大全盛期だった。コギャルとルーズソックス、日焼けにPHS。制服でカラオケに行けば全て半額で、小室ファミリーソングを歌いまくった。

当時はインターネットなんて全く普及してなかったから、情報源はマガジンとテレビのみ。といっても、当時の高知は民放2局だしマガジンも発売日には来ない。

今思えば、当時は限られた情報の時代だったからこそ、興味のある事は本を読んだり、物を知る事にハングリーだったかもしれない。

勉強の嫌いな私の趣味は音楽と漫画だった。漫画を描くのも好きだったが、表紙に時間をかけるだけでストーリーが上手に仕上がらず、漫画の中身はいつも尻切れトンボ。表紙の絵に時間をかけて、後はどーでもよくなってしまっていた。

それを知った友人が「きっと、ふーこは漫画家よりも、ポスターとか一発物のデザインとか絵の方が向いてるんじゃない?」と言った。「なるほど!そうか、じゃあ世間でいうグラフィックデザイナーとやらになればいいじゃない!」と思い、高校卒業後、さらば南国土佐、夢の都東京へ!

こうして私は東京デザイン専門学校に入学したのだった。

引っ越しの手伝いに一緒に上京してきていた母に「東京で一番大きい広告とかデザインの会社ってどこ?」と聞いたら「うーん、良く知らないけど多分電通とか博報堂じゃない?」と言われた。

私は「おけ、じゃあ私そこに就職するね!」となんともアホな会話をしていた。電通も博報堂も美大か4年生大学を出てないと新卒はとってもらえないなんて知らなかった。

就職活動はとても困難で、やっと入れた所は銀座の小さな老舗の広告代理店だった。40人程の代理店でデザイナーは私を入れて3名、私が与えられた仕事は車のホイールのカタログと、お仏壇の広告。

なーーーんかやりたかった仕事と違うな~~、と思いながらも、一生懸命、仏壇の写真のポジをスキャンしていた。

新入社員の私の仕事は、朝8:30に出社してまず全員の机と電話を拭くことだった。「そうかー、デザインの仕事もまず掃除から!」と、素直に拭き拭きしていたなんて、今の自分からは想像もできないけど(笑)。

午後3時になると、先輩女性と全員のデスクのゴミ集めするのも日課だった。営業デスクで「失礼しまーす」とかがんでゴミ箱を取る時に「お、今日はブラが見えないねー」と言った営業のおっさんを今思い出しただけで気持ち悪い。課長、お元気でしょうか?(笑)

と、日々仏壇も車のホイールも勉強と思って頑張っていたけど、なーーーんかやりたかった事と違うんだよなーーーという気持ちが全く消えなかった。もっと、こー、単純にかっこいい仕事がしたい、と思っていた気持ちから、常に転職を考えていて色々履歴書を送ったりしていた。

その後、多くを学ぶことになる次のステージでの話は、また次回。

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Fuko Chubachi(ソニーミュージック・シニア・アートディレクター)
Fuko Chubachi(ソニーミュージック・シニア・アートディレクター)

東京の広告会社勤務を経て、2002年渡米。2003年ニューヨークのソニーミュージック入社。アートディレクターとして、アーティストのイメージ作り、撮影、ロゴやジャケデザイン、ビデオなどアーティストのアート関連すべてを総合で担当。ビヨンセやマイケル・ジャクソンをはじめ、デスティニーズチャイルド、ケリーローランド、ブランディ、グッドシャーロット、アダムランバートなどのアート制作に関わる。
2013年夏、デジタルマガジン『HEAPS』を創刊。編集長兼クリエイティブ・ディレクターとしても日々格闘中。

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Fuko Chubachi(ソニーミュージック・シニア・アートディレクター)

東京の広告会社勤務を経て、2002年渡米。2003年ニューヨークのソニーミュージック入社。アートディレクターとして、アーティストのイメージ作り、撮影、ロゴやジャケデザイン、ビデオなどアーティストのアート関連すべてを総合で担当。ビヨンセやマイケル・ジャクソンをはじめ、デスティニーズチャイルド、ケリーローランド、ブランディ、グッドシャーロット、アダムランバートなどのアート制作に関わる。
2013年夏、デジタルマガジン『HEAPS』を創刊。編集長兼クリエイティブ・ディレクターとしても日々格闘中。

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