「広報会議」2014年1月号紙面より抜粋
マスコミ対応のすべてを書いた
「広報とマスコミの間には、どこまで行っても平行線にしかならない問題が存在するということを、まず提示したかった」と横山さんは話す。『64』では、舞台となるD県警の広報室や広報官の三上義信が、マスコミ各社の県警担当記者らと何度となく衝突する。それは記者会見の会場や県警本部の廊下、記者クラブなどあらゆる場面で繰り広げられる。
より詳しい情報を引き出そうとするマスコミと、距離を取りながらうまく付き合い、あわよくばコントロールしようとする警察。その矢面に立つ広報室のスタッフは、記者らの要求に対し強硬に突っぱねる時もあれば、記者クラブやカラオケの席で懐柔に動いたりもする。
背後には組織の力学が働く一方、その組織を構成する個々人の思いが反映され、事態は時に思わぬ方向に展開する。「この種の問題でマスコミが言うであろうせりふはすべて書き尽くしています。一方の警察にも、考えうる対抗策をすべてとらせた。そこらじゅうで何十年も同じ議論が繰り返されているのですから」。
『64』は、昭和64年に起きたD県警史上最悪の誘拐殺害事件をめぐる、刑事部と警務部の全面戦争を軸に展開されるミステリー小説。主人公である三上とマスコミとの軋轢や家族の問題が複雑にからみ合う。「組織と個人のせめぎ合い」をめぐる心理描写は横山作品の醍醐味ともいえる。
広報官を主人公に据えたのはなぜか。「組織の内部だけでなく、外部からも強烈な負荷がかかるのが広報だから」という。横山さんはかつて、地方紙の記者として警察を担当していたことがある。記者の立場で広報に向き合った経験が小説にも生かされている。
もっとも、「組織の中での広報官や広報課長の権限の小ささを実感することが多かった」というのが、当時の横山さんの広報に対する印象だ。広報担当者に一定の裁量がなければ、あの手この手で情報を引き出そうとするマスコミと対等に渡り合うことは難しい。最近は多少なりとも広報への理解が進んできたとも言われるが、警察の広報は今に至るまで、難しい役回りを担ってきたといえそうだ。
刑事畑から広報室への異動を命じられた三上は、2年で刑事部に戻ると割り切り広報室の改革に着手する。「広報室は外に向かって開かれた唯一の『窓』なのだ」はその時の三上の言葉だ。
もっとも、それがうまくいかない事態にたびたび直面した。その時の記者とのやり取りはこうだ。
記者▶「広報室は窓だと言ったのは三上さんでしょう。窓なしのブラックボックスでいいんですか」。
三上▶「窓はある。そっちが考えているほど大きくないだけのことだ」。
マスコミと警察の立場の違いを表わそうと考えたときに、「窓」という言葉がひねり出されたという。窓はマスコミが思うほど大きくないし、大きくしようとも思っていない─警察組織のそんな姿勢が読み取れる。