「単発の発想法」時代の終焉 – なぜいま、この作法が必要か
今日クリエイティブにまつわるあらゆる「境界」が次第に曖昧になってきている。作り手と使い手の境界。サービスとプロダクトの区切り。デザインとエンジニアリングの境目…。
iPhoneやNIKE Fuelbandなどは「曖昧な境界を持つプロダクト」の好例だろう。ハードウェアとソフトウェアが渾然一体となった製品。でもそれに加えて、ネットワーク上のエコシステムが、その後の使われ方の無限の広がりを支えている。プロダクト単体で閉じない世界が広がり、結果アプリケーションのダウンロードやユーザ同士のコミュニケーションが生じる。いま、分野横断による取組みが、いつになく重要視されている。
そんな中、従来型のプロジェクト進行やアイデア発想では、現代的な問題に立ち向かうことは難しくなっている。多くのアイデア発想法をポケットに溜め込み、それを適宜取り出して使う、という「単発の発想法」の時代は既に終わっている。
アイデアは単発の発想で完成するものではない。発想の後、時間経過の中で拡張・発展・検証・改善・再定義され続けるべきだ。それによって初めて価値や実現性を得る。新たな切り口を持ったフラッシュ・アイデア(思いつき)のみで問題が解決した時代は幕を閉じた。単体の発想法ではなく、試作を通した仮説検証や、複数の思考モードの切替、振幅によってのみ到達できる「思考の境地」でこそ、イノベーションが生じる。
どのように隣人の思考をなぞるか – Spark Shadowingのルール
Spark Shadowing には、決まった手順はない。完成された方法論と言うよりは、むしろ心構えや態度、問題に対する取り組み方と考えた方がよいかもしれない。ただし、二つだけ守るべきルールがある。
まず、ロダンさん本人には決して「どのように発想したのですか」と聞かないことだ。なぜか。
Spark Shadowingの目的は、思考回路をメタに捉え、普段と異なる発想作法へ自らを結びつけることにある。異なる目で世界を見て、いつもとは異なる絵の具、異なるパレット、異なる筆でアイデアを表現する機会を作ることにある。
だから自ら「ロダンさん的なる思考」に関する仮説を立ててシミュレーションすること自体が、トレーニングとしての価値を持つのだ。よって一足飛びに本人に答えを聞いてはいけない(そもそも、無意識的に発想している人がほとんどであろうから、聞いても答えを得られないことの方が多いだろう)。
ただし、自らの仮説を持って、それが正解かをロダンさん本人に確認することはしてもよいだろう。「ロダンさん。先ほどは名案でしたね。もしかして、資料の3行目にあるキーワード群に着目しながら、直前の瀬山さんの正反対の領域で出来ることを考えた結果ですか?」などと聞いてみる分には、問題ない(本当はこの発言例より、もっと細かく思考プロセスを分析したいところです)。
自らの仮説を確認する限りにおいては、当人に確認してみてよい(本人に突然「どのように発想しましたか」というHowの質問をしても答えを得られるか望み薄だが、「このように発想したのでしょうか」というYes / Noの質問であれば恐らく答えが返ってくるだろう)。
面白いことに、この仮説が正解かどうかは、さほど重要ではない。むしろ、間違っていた方がお得である。なぜか?
次回 2014/02/27 更新予定:隣の人の“アイデアの発火”をトレースする方法 – Spark Shadowing(後編)
Shadowingは「間違っていたほうが良い」
注釈:Spark Shadowingという名前について
少しだけ、語句についての解説を。
Spark
Sparkとはアイデアの発火、発想の瞬間そのもので、つまり光によって象徴されています(名案やそれを思いついた瞬間は、よく電球のメタファーで表現されますね)。
Shadowing
Shadowingとは、シャドーボクシングにも通じるように、ここでは「ある動きをなぞる」ことを意味します。思考の流れを上流から下流まで辿って、なぞる試みです。シャドーボクシングでは、仮想の敵を想定しながら自らの動きの型を作ります。Shadowingは、実践でその型を繰り出しやすくするためのトレーニングです。
Shadowingとは「型をなぞる練習」としての意味のほか、その後自体が「影」を意味することが興味深い、と私は勝手に思っています。「影をなぞる動き」そのものがShadowingである、というトートロジー的な解釈も可能だし、「仮想の敵は飽くまでシャドウである」という「象徴としての影」を想定することもできます。いずれの場合も、それは闇によって象徴されている、ということ。
Spark Shadowing
「光」を再現するための「影」。光によって影を得、影によって光を得る(いわゆるoxymoron, 矛盾撞着語法)。お互いがお互いを強固にする。このコントラストを行き来する中で、枯渇しない無限のアイデアの種が生じるというわけです。試行錯誤が繰り返される。振り子の動き、波打ち際的な相互作用、シナジーとしての動きを感じてほしいと思っています。