“祭り”の主役は参加者、そして“場”そのもの
グランド・ファンクの豪雨の中のコンサートを経て、8月。
みんなが箱根に集まった。日本で初めての野外一泊二日ロック・コンサートが始まる。箱根アフロディーテ。いままでのコンサートとは何もかもちがっていた。山と呼ばれるメインステージと谷と呼ばれるサブステージの両方でずっと演奏が続いている。けれど、みんなが演奏を聴いているわけではない。このふたつのステージはかなり離れているので、行ったり来たりの途中で草むらに腰をおろしてタバコを吸ったり(ああ、あのころは人類の97%がタバコを吸っていた)、芝生の上で寝っころがってそのまま昼寝したり。非合法的なものを嗜むヒト、合法だがパブリックな場所ではすべきではないと思われることをするカップルなどなど。ここでは、音楽も要素のひとつで、あくまで主役は、参加しているひとりひとり。そして、この“場”そのもの。ウッドストックが発明した、今までなかった時間と空間がそこにはあった。
それはコンサートではない。祭りなのだ。
そこには、通常のコンサートにない祝祭特有の高揚感があった。血流が増大するような感覚が。音楽だけでなく、その“場“全体のうねりのようなもの、かたまりのようなものを共有する感覚が。
それは、この年の秋、レッド・ツェッペリンのコンサートでみんなが共有したものとは、まったく別のものだ。1971年9月24日の武道館でオーディエンスがシェアしたのは、まぎれもなく音楽そのものだった。とびきり上等のロックだった。ジミー・ペイジの腰の低い位置のレス・ポールも、ボタンひとつしかとめてないロバート・プラントのシャツも、すべて音楽以外のなにものでもなかった。どちらかがいいというのではない。それは種類のちがうできごとなのだ。
ピンク・フロイドがステージにあがると、どういうわけか僕とガールフレンドはステージの端に座って聴いていた。いまだに理由がわからないのだが、とにかく僕たちはピンク・フロイドが演奏しているあいだずっと、彼らと同じステージにすわっていた。山々にかかる霧を眺めながら“Atom heart mother”を聴くのは、とても美しい祭りの終わり方だったと思う。
ヒトは祝祭なしでは生きていけないことを知った。
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